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数十年間人間として存在してきたはずなのに、初めて私という人間に触った気がした

数十年間人間として存在してきたはずなのに、初めて私という人間に触った気がした

コトバでつながる「わたしが見つけた内側の世界」。
新しい人生を歩もうとする岐路のタイミングで、遠方からセッションにお越しくださった、ミヤマさんが文章と写真をお寄せくださいました。

(この子は書ける子や・・ニヤリ笑)と予想したとおり、内面の変化について、最初から解像度がとても高い。
初回のセッションて、実はみんなこのくらい内面の変化があるのですが、すぐには気づきがなく、なんとなく・・・そうかな?みたいな受け取り方になります。

それでももちろんよいのですが、内面への感覚に気づきを深めてほしくて、セッションとは別に、感覚ワークとカラダの合宿を組んでいます。
感覚を開くお試しグループワークもやるよー


わたしはつながった状態でしゃべり、セッションをするので、ほぼまったく覚えていません。だから楽しくないのよねー。こうやって客観的に読ませていただくと新鮮。

ミヤマさんが「知りたいと伸ばした触手は、外に伸ばしたはずが同時に自分の中へとも入っていく」と書いているとおり、内部に入る感覚は、夢のような像と、手触りのような確かなリアリティがあります。
それがマインド(脳内ストーリー)に入っている状態との違い。

内部感覚を持った手で、自分に触れ続け、人に触れていくこと。これはご自身でもセッションをなさるときにも、大きな財産になってくれるでしょう。

すごいシステムだと何度も書いてくださっていますが、すごいのは新たな現実を映し出しはじめ、そこから受け取り、さらに気づきに変えているミヤマさんご本人です。ミヤマさん、真摯な言葉と、学ぶ情熱に溢れた気持ちを送ってくださり、ありがとうございました!

コトバを紡ぐ、コトバでつながるシリーズ「わたしが見つけた内側の世界」

数十年間人間として存在してきたはずなのに、初めて私という人間に触った気がした

2019年8月22日  #03 ミヤマ

私が葦江さんにお会いしたのは、今年の七月。

たくさんの蚊を連れて、葦江井の頭ハウスへお伺いした。(葦江さんからは今日一番蚊を連れてきた人認定をいただけた!笑)

葦江さんはぶっきらぼうらしいが、私が会った葦江さんは饒舌(…だったと思う。ぶっきらぼうらしいという心積もりで行ったので、結構驚いた)で、おもしろく、すごくユニークで、そして最高にクールで。難解な(根源的な)質問を繰り出し、思考停止に陥ること数回だった。

そもそもなぜ葦江さんに会おうと思ったのか。

友人から葦江さんの話を聞いた時、なぜだかわからないが、これは会わないと!と即座に決めていたことを覚えている。

私は肩凝りとか、めまいとか、多少の不調がありつつも基本的に健康だと思う。しかし、どうしても改善しない問題があった。人に言わせたら、下らないとか気のせいでしょ、とかで一蹴されるであろう私の悩みは、だからこそ辛く、相談できなかった。(そして相談しても改善しなかった!ハハハ!)

また、私は今年の3月に6年勤めた職を辞し、4月からカードリーディングや人の健康に携わる仕事をし始めた。

清水の舞台からダイブした&性に合わない仕事に長期間従事していた私はひどくやつれていて、4月から6月までの間、とにかく自分の中での調整と労いが必要だった。だが、そろそろ外に出ていく時期だなと思っていた時に、友人から葦江さんの話を聞いたので、とりあえず一つの区切り、という気持ちもあった。

セッションを受ける前までは、私が抱えていたその問題は脈絡がなく思え、どうしようもなかった。

しかし、実際蓋を開けてみるとその内側には、私にとっては筋の通った、なんらおかしくない理由があった。本当に目からウロコだった。

今まで、長いこと自分を責めてきた。

でも、セッションが終わった後、そして後から後から、どうしてそのような行動をとっていたのか、そうせざるを得なかったのかが腑に落ちていった。

今まで責めてしまった自分を気の毒にとか、よくがんばってきたねありがとう的なことは一切思わなかった。

それを一気に飛び越した気づきは、ただ喜びを私にもたらした。

私は、数十年間人間として存在してきたはずなのに、初めて私という人間に触った気がした。

見ることのできない、私の内側の世界。

なんと、優れたシステムなんだろう。

帰りの電車の中、そして、時間を経て、覆っていたウロコがバサーッと落ちていくたびに(落ちていく時は突然に)、素朴に、ただただ感動した。

私の身体と心の精巧さに、そしてそれを創った存在と、そういう心と体がある自分に。

感動は晒され、より美しく、なにかキラキラした、確信めいたものへと変わっていった。

今までずっと一緒にいたのに。なんで気づかなかったんだろう。

なんでこんな凄いシステムなんだろう。

一気に扉が開いた感じがした。

知りたいと思った。

刹那に落ちてくる直感と、時間を経て、より純度を増していく感覚。

今まで見ていた世界は全く様相を変えて、より美しく、雄弁になり、そして際立って見えた。

雄弁でありながら静謐。相反するものが極まって同居している感じ。

知りたいと伸ばした触手は、外に伸ばしたはずが同時に自分の中へとも入っていく。

セッションで得たもの。すぐに言語化できる部分もある。

でも、それだけじゃない、もっとその奥の、細かい粒子みたいに後から後からスパークし、変化が生じてきている。

それが私の内側の世界。

あの時の体験。

ウロコが落ちた後の私。

キラキラした確信は、からまり合い、今までの経験も全部抱きとめて、そして飽くなき探求へと向かわせる。

セッションを通じて、葦江さんがぎゅうぎゅうと色々なものを手渡してくれたことがよくわかった。

果てしないなぁ。でもそれが嬉しい。そう思える自分が嬉しい。ワクワクする。

いつかそんなところに行けるんだろうか。行ってみたいな、行ってみよう!

今までの経験は全て生きてくる。

学ぼう、勉強しよう。勉強したい!

この気持ち、初めてアメリカに行って、大好きな友達や家族に出会って、話したくて、必死に英語にかじりついて、勉強した時みたい!

そう、私は今まさに道の上を歩いている。歩けている!

それが、本当に嬉しい。

こんな感じ、私が見つけた内側の世界。