内部に入る、内部世界を見る ─ 客観性のある感覚世界

内部に入る、内部世界を見る ─ 客観性のある感覚世界

体の声、心の声

私たちは、自分のからさまざまなシグナルを受け取っています。空腹/満腹、尿意/便意、軽さ/重さ、眠たさなど。

外の刺激からも絶え間なく何かを感じ続けています。明るさ/暗さ、暑さ/寒さ、湿気/乾燥、食べ物の味や人の気配も。そして、内側と外側からのシグナルは、快/不快をもたらし、私たちは複雑な感情で応答します。

胸に手を当ててみましょう。呼吸のたびに胸部はゆっくり上下し、耳をすますとトクントクンという脈拍も知覚できます。手のひらが敏感な人は、ピリピリするような刺激も触覚に感じるでしょう。心臓は体の中で脳よりもはるかに大きな電磁場を形成しています。

こうした物理的な生命感覚のほかにも、ほとんどの人が「」という見えない存在を胸の中心に感じます。感じているものを観察できるのは、私たちに「自我」があるからです。

動物や赤ちゃんは自我を持たず、感じている世界そのまま、喜びも飢えも不快も痛みも眠気も恋しさも、体ごと没入して生きています。赤ちゃんが育つごとに大きくなる自我は、そうした体験に主体を与えます。

私は、嬉しい。

私は、眠い。

頭が、痛い。

心は起きている間ずっと胸の中にあるように感じますから、主体である私と、喜びや飢えの知覚とが結びつきます。喜びや飢えの、本来の体験の場であったはずの体は客体化(対象化)され、知覚と体験はこうしてバラバラになります。

対象化されたものは思考することができますから、私たちはあれこれ考えを巡らし、より良くしようとします。

しかしより良くできなかった時、私たちの心には苦しみが貼りつきます。

私は、苦しい。

心の苦しみは、腐ったものを食べた時の肉体的な苦しみとは、まったく異なるように感じます。いったいどのような体験なのでしょうか。願ったものがより良くなるまで、心の苦しみは続くのでしょうか。

この心というものから、いったん出てみましょう。胸の辺りから、「」が抜け出るようなイメージです。

そしてもう一度、注意深く入ってみましょう。

喜び、飢え、不快、痛み、眠気、寂しさ、恋しさ、苦しみ。

初めて入る秘湯の温泉のように、注意深く温度をたしかめ、足の先からそろそろと浸かってみます。

どんなお湯加減に感じますか?

どんな肌触り、どんな味、どんな香りがしますか?

本来の体験の場である身体感覚に注意を向けると、私たちは馴染みのある自分に貼りついた「心」から、あらためて新しい「内部」に入ることができます。

肉体と意識の変容を取り上げようとするとき、心にへばりついて一体化した体験、体から自我へと主役が移された体験を、もう一度味わい直してみるプロセスを通ります。いったん抜け出てみなければ、自分の心がどんな色眼鏡をかけているか分かりませんよね。

微細な身体

あらためて獲得した新しい内部を、微細な身体感覚と呼びます。微細な身体はサトル・ボディとも呼ばれているもので、生命に関わる微細な身体をエーテル体心や知覚に関わる微細な身体をアストラル体と呼びます。

肉眼では見えないエーテル体やアストラル体を感じられるようになると、受け取る主体である自我にも変化があります。具体的には神経系と血液の状態に落ち着きが生まれます。

自我の変化を観察する主体は、さらに意識の次元が上がって超自我、ハイヤーセルフと呼ばれます。

ハイヤーセルフとつながる最も簡単な方法は、耳をすますこと。さらに消えていく音(持続音)、次に今から鳴るかもしれない音(可能態の音)に耳をすますこと。これまで何度か開催してきた感覚のワークで耳をすます体験した方も多いと思います。

意識の拡張だけに注意を払う時、意識拡張にともなって現れてくる夢の像の世界は、可能態(デュナミス)としては成立していますが、現実態(エネルゲイア)においては、あくまでも主観的な空想です。

意識の拡張を、耳をすませたり、体に意識を向けたりすることに使い、微細な身体感覚を受け取っていく時、そこにはある種の客観性があります。

インターバル感覚

みなさんに一番想像しやすいのは、音のインターバル感覚でしょう。

doからdoまでの一度、doからreまでの二度、doからmiまでの三度、この音の高低差がインターバルです。ちなみに、ワーグナーの結婚行進曲は荘厳な1度からワクワク感の4度で始まり、ショパンのノクターン2番は伸びやかで美しい長六度から始まります。

ワクワクや美しさという心理量は個人差がありますが、音の高低差には決まった度数の客観性があります。

音は、弦楽器に触れたことがある人はお分かりの通り、「差」感覚ではなく、彈(はじ)く弦の長さの比率、つまり「比」感覚でできています。

インタバールの「比」感覚を体でつかむことは本当に大切で、私はこれを根本から体でつかむためにオイリュトミーをやっています。

デザインや空間の美しさも、「差」感覚より「比」感覚に左右されますね。物の大小や金額の差ばかりを気にしていると、優越と不幸しか生みません。

宇宙の時間や空間の距離、歴史の流れも、実は比感覚でできています。

何億年前の時間の流れと現代の時間の流れはまったく均等ではなく、現代は非常に凝縮された高密度な時空になっています。

比感覚において、月は死者の冥界とつながり、生命の受肉を司っていますが、差感覚では月という鉱物までの距離や引力が問われます。

客観性のある内的感覚に魅せられて

弦の響きのように客観性のある内的感覚。これは、言葉においてもあります。言葉が口腔のどういう構造で発せられるか、発せられた言葉の響きは、どんな内的感覚を生むのか。

弦の響きがハーモニーであるなら、言葉の響きはコミュニケーションです。

「A音」は、ある点から始まる憧れや出会いの可能性の響き、「E音」はすでに出会った衝撃や変化の響きがあります。日本語では「A音」が未然形、「E音」が已然形として活用します。

身体においては、脊椎(神経系)が比感覚のハーモニー、内臓・内分泌がコミュニケーションによる消化と吸収を行なっていて、身体的な叡智はヨーガや神智学に体系化されています。

身体は、高度に発達した医療でも分かる通り、精密な客観性の世界でもあり、かつ心や魂の影響をダイレクトに受けている、主客表裏一体の場です。これが面白いところ。

私がやりたいことには二つの方向性があります。一つは、「物」としての身体に内的感覚を向けることで生命の法則と内側から出会い、体の声として受け取ることで個々の健やかさを得る。これが私のいう生命の神秘です。

外側の知識で得る生命の法則は、個人身体には強制にもなるので、ある一定の健康まで回復するけれど、自由自在という健やかさには届かないのです。

古事記神道の「天地物(あめつちもの)」を生理学として学ぶ領域は、西洋におけるルドルフ・シュタイナーの叡智にとても親和性があり、今これらを同時に学ばせてもらっています。そして人にも伝えていきたいと思っています。

やりたいことのもう一つの方向性は、「物のあはれ」を受け取り、その詠嘆をまた空へと響かせていく魂の力、芸術性です。

私の主宰する劇団カラノミは、まだ水面下の少人数の基礎訓練からスタートしている段階ですが、この方向性でのクリエーションに興味がある仲間を、今年はだんだんと募っていく心づもりです。

内側から発現する健やかさ、自由。法則を使いこなすこと。感情を育てること。それをまた物の世界へと表現していくこと。

セッション、ワークショップ、稽古、クリエーション。

いろんな形で活動していますので、人生をおもしろがりたい人、ぜひ出会いに来てください。

やりたいこと、心づもり、をまだとりとめもなく書き連ねている段階。なぜなら、まだ誰も形にしていない分野だから。やりたいことをほぼほぼ全て実現化できる力に恵まれたことは本当にギフトだなと思うし、まだ下手くそな文章も、きっと読みやすく、人に届くものになっていくでしょう。

もし心に届くものがあったら、届いたよ、と声をかけてもらえると嬉しいです!

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