すべては命の綱でつながっている
- 2017.11.14
- セッション
すべては生命の綱(The Web of Life)でつながっている。
というのが、わたしが社名にしている「ホリスティック・ウェブ」の由来です。
どこからいただいているかというと、フリッチョフ・カプラの著作『The Web of Life』が大元。
自らの構成員にとって、自らの本質、自らの存在そのものは、他の構成員との関係から導き出されるものである。相互依存、すなわりすべての生の営みがお互いに他者に依存しあっているということはすべての生態的関係の特質である。
ボディートーク基礎モジュールのマニュアルでも、科学的根拠の箇所にも「ブーツストラップ理論」の紹介として掲載があります。
“物質の根源となる構成単位がある”という考えからの脱却を示しています。
実際の意識のメカニズムからいうと、いきなり脱却できるわけではなく、すべては一つであると同時に「私の宇宙」なるものを映しているのは、ただひとつ「私の意識」だけ、というプロセスを経るのではないでしょうか。
分離感覚からの序列や善悪としての関係性。
世界でたったひとつの「現実」の映写機としての孤独。
拡張意識における相互扶助、相互依存。
日常的な序列関係から、相互扶助的エコシステムとしての関係性にいたるまでには、絶対的孤独を通る必要があり、これをわたしは老荘思想としてのタオイズムだと思っています。
ボディートークというのは、ある意味とてもドライで、中立的です。
「すべてはつながっている」って素敵だよね、でもエゴマインドはそんなふうに実感出来ないでしょ、世の中は不公平だし、争いだらけだし。という葛藤そのものに光をあてます。
相互扶助に価値を与えてそれを目指そうという考え方と、葛藤のバランスをとることで、すべてを体験しやすくするのと、近いようでだいぶ異なります。
フリッチョフ・カプラの著作『ターニング・ポイント』に出会ったのは、もう30年も前のこと。
大学1年生で、世界を新しいパラダイムで見る視座に、当時最も影響を受けた1冊です。
それが今、こうして思いもかけなかった仕事につながっているとは、ほんとうに人生は不思議。
当時は歴史学を学んでいたので、新しい学際主義のシステム論として読んでいました。
こういうのに「かぶれてた」おかげで、教授からも嫌われ、留学のときの文科省の面接でもコテンパンにやられて、国費留学に落っこちましたけどね。
生命の網は、文字通り「人体」の分子成分のコンセプトとして読むこともできるし、社会システム論として読むことも、人間関係として読むこともできます。
複合的マトリックス(家族や集団のエネルギー調整のテクニック)を扱うときにも、この蜘蛛の巣のイメージはとてもナチュラルで、柔らかい感じがします。
今は単独で施術を行なっているだけなので、会社組織としてのホリスティック・ウェブは、領収書の名前くらいにしか役立っていませんが、来年以降は、関係性の網として、表現の母体として、学びの場として、機能させることができればいいなと思っています。
高校生のときの「タオ」の体感は、切り立った断崖絶壁の頂点、実在の点ではない、純粋数学のような「どこにもない場所」としての点に、ただひとりで立つような感覚で、それはひたすらおそろしいものとして感じました。
真っ暗な闇の、光を成すただ一点。
うわあやばい、タオは狂気だから、絶対に近づかないでおこう、と思ったのです。
そんなふうに考えてから、えらく時間が経ち。
今日は、インターヴァルのTAOを学びました。
体を使うことで、純粋な点に、安全に立つことができる。
この年になってからでないと分からないこともあるのだなあと、来し方を振り返って思います。
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