奇跡を見せてくれよ、そしたら信じるから。

奇跡を見せてくれよ、そしたら信じるから。

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小説や漫画を読んでいて、主人公が心の中であれこれ独り言をいったり、自問自答したりするのが描写されることがありますね。

外見上は表情や仕草に感情的な反応が表れるだけで、モノローグそのものは誰にも聞こえないのです。

誰にも聞こえない心の中を描写するって、すごくないですか?

『ONE PIECE』のルフィは、「思ったこと即行動」だから、作者は意図的にルフィから心理描写を外しているんだそうです。古代人ぽいですね。

心の中で自分があれこれつぶやいていることを「知覚」できる精神状態は、ごくごく近代の出来事だと思います。

みんな、エジプトの書記官よりすごい知覚状態を、日々ブログに書いてるんだよ。すごいよね。
興味の方向は、エジプトの書記官のほうがはるかに広いと思うけど。

悠久の昔から、わたしたちは真・善・美を再発見しながら肉体とともに旅しています。

誰にも聞こえない心の中。
もしも桜に心があって、自らの美しさに気がついてしまったら、その瞬間、桜はもう植物感情ではいられず、人間になるでしょう。

太陽を仰ぎ、水を喜び、冬に力を蓄え、その移り変わりに神を見い出し、讃歌を捧げ。
目覚めた桜は、突然そんな祭儀をしはじめます。

そして散って忘れられることが恐くなり、冷え性になり、アンチエイジングに精を出すかもしれません。
仲間の桜が枯れたら、涙を流して挽歌をかなで、新芽を見つけて出産を祝い。

桜はそのようにして、自らの存在に気づき、神に気づき、死と生を見つけていくのです。

* * *

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肉体がなくてもイメージワークができるのか。

イメージを受け取る「自我」は存在するのか。

という問いがあったとして。

これは言い換えると、

死者はイメージワークできるのか。
という問いになります。

わたしの答えは、「死者とは肉体なしでイメージワークする人、し続けている人、イメージ即世界である国に住んでいる人たち」です。

生者は、イメージワークを肉体に結びつける作業をしている人ですね。

現実感覚でいうと、オギャーと生まれた肉体や環境が先にあって、イメージを意識的にワークしていくことで意識や精神性を高めていきます。

わたしは現実感覚からそもそも逆で、先にあった「見えない世界」のイメージを肉体に結びつけるワークをやっている感覚が強いです。

自らの存在や神、死や生に気づくかわりに、ただひたすら肉体を見つけていく作業をしています。

精神方向か、肉体方向か、みなさんはどっち向きですか?

マインドフルネスの流行もあって、巷ではたくさんの瞑想法やイメージワークがあります。

わたしはイメージワークのワークショップを、もっと確かな形で確立して、やっていきたいのです。
もちろん肉体と結びつけて。

イメージワークは、母国語の文芸史や世界の哲学史の背景がないと、とても表面的なものになります。
表面的というのは、イメージしたものに対する愛情や畏敬が薄く、自分を利することばかりにイメージワークの目的がいきがちだということです。

自他のバランスのとれないワークは、どこかで破綻があるのだと、いろんなクライアントさんとのイメージワークを通して知りました。

生者が肉体をもってイメージワークする舞台設定を、「神殿伝説」と呼びます。
神殿伝説の骨組みから、神話が生まれ、男女の性と遺伝の仕組みが語られ、国が生まれます。

目や耳をもって外界を発見した人間は、自らの美しさを発見した桜の木のように、神を仰ぎ、死を悼むことを覚え、四季を喜びます。

文芸史も、神話、王の叙事詩(まこと)、四季や相聞、挽歌の万葉集を経て、感情そのものの発見(あはれ)、物語形式の成立、古今に入ると「花」の発見(みやび)、彩り(あや)、人麻呂のつれづれの孤独、さらに時代が下るともっと内面的な情趣、わび、さび、中世に入ると「幽玄」として能や禅、茶道などに大成されていきます。

一般にイメージワークは、「幽玄」(悟りの世界の精妙さ)を志向しています。

生きている人間が、生きながらにして「幽玄」なる死者の世界を発見していくって、すごくないですか?

これって、桜が自らの美しさに気づくのとまったく同じだとわたしは思っています。

桜は美しさに気づき、人間の吐息を手に入れます。
人間は幽玄に気づき、植物の感情に目覚めます。

この、気づきそもののの進化の概念(文芸史)がないと、イメージワークは、すさまじく欲望的・消費的になります。
消費欲望は自己破壊に向かい、浄化にバランスされます。
世界各地にある大洪水の伝説ですね。

三次元の方向、時間、人称、天と地、四季、恋愛、花。
これらをひとつひとつ体でとらえなおすために、わたしは文芸史、日本では古事記と和歌とともにイメージワークすることが、とても大切だと考えています。

もうひとつ日本で重要なことは、近代経験において、西洋と出会っていること。

日本近代文学は、従来の文学観念が、西洋の影響でどう変わってきたかがメインテーマとなります。

鎖国していたお江戸が最初に見た西洋は黒船(軍艦と大砲)でした。
国を脅かした黒船を自分たちも手に入れたい、強くなりたい、というのが近代日本の基調になります。

学校で自分をいじめる他者に出会う。強烈な分離体験ですよね。

こういったプロセスをすべて押さえておかないと、「主人公が心の中であれこれ独り言いう」という精神状態がいかなるものなのか、理解しているとはいえないのです。

ただ教わったメソッドを教えるだけ。って、わたしにはできない。
教わったメソッドだけでは、方法を「教える」ことはできるかもしれない。
でも、内実を「伝える」ことはできない。

ヨーガは、頭の中にいっぱいある思考に執着しない、という志向性を持ちます。

西洋的なイメージワークは、肉体が先にあって、イメージを意識的にワークしていくことで意識や精神性を高める志向性を持ちます。

西洋化した日本人身体においては、天に向かっていくイメージワークが有効でしょう。

わたし的には地に向かっていく天孫降臨のイメージワークのほうが、だんぜん興味津々です。

日本人は元来、「天=創造主」につながっていくという観念のメソッドに、あまり合わないんじゃないかなあ。
日本語そのものが、無意識下でつながりを保持する仕組みを有しているから、それをいったん意識的に解除しないと、潜在意識をつかうセラピーはやりにくいと思う。

わたしはそう思って日本語の仕組みを意識的に解除してから言葉を再吸収しているのだけれど、ほかの潜在意識系のセラピストの方は、どうしているのかしら?

クラアントさんの多くが、何かしらの神秘体験をしたい、癒しや奇跡を体験したい、という欲求をお持ちです。

その根底には、何かを信じたい、という渇望があります。
体験したら幽玄の世界を確信できるから。

西洋医学的に体に起きていることを知るには、「検査機器を信じる」ことが必要となります。
検査機器を信じないでは、手術を受けることもできません。

エビデンスを見せてくれよ。そしたら信じるから。

この場合のエビデンスとは、検査機器が語る他者の人生です。

奇跡を見せてくれよ、そしたら信じるから。

この思考プロセスは、唯物論的神秘主義と呼ぶのでしょうかね。

本当の奇跡は、物の世界に現れる超常現象なんかじゃありません。

肉体がなくても、イメージとそれを受け取る自我があるという奇跡。
これは死者の国の創造。

イメージとそれを受け取る自我とを、肉体に結びつけていく奇跡。
これは生者の国の創造。

死者の国の創造は「聖霊」、生者の国の創造は「キリスト」に象徴される。

オイリュトミーではレムニスカート。夏至と冬至を極とする8の字のこと。

肉体にも感情にも思考にも触れることができる、ということがすでに、わたしたちが死者と生者、両方にまたがった存在であるという証拠です。

ならば、真っ先に「信じられる」ものは何か。

検査機器か。
奇跡か。
神秘体験か。

真っ先に自己存在を信じたものが、自らのイメージを受け取っていくことで創造行為をなしていく。

このプロセスって、どんだけの奇跡になると思う?

それがわたしのセッションの内実です。

この道をクライアント自らがたどり、体験していくワークショップを、これから長期開催していくよ!!!(猫の日の予言)。

誕生日が過ぎたので、太陽星座に向かって決意的なことをいうと、

外界にある形の生成パターンから四大エレメントを分節し、身体と再融合させる技術。
エレメントの様相から、時空と重力の関係、筋骨格のバランス、照応する魂、自我の働きを高次体験する技術。
循環(収縮と拡がり)からの自己衝動(気づき)を見つける技術。

これらを実験し、個々の創造へ結びつけていく参加型ワークショップのカリキュラムづくりをやるべ!

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