ものごとや他者の内部にとって、あなたの世界観そのものが外部である

ものごとや他者の内部にとって、あなたの世界観そのものが外部である

昨日で、3回目のお試し感覚ワークを体験していただきました。

終わった直後から強い雨が降り始め、夕方にバイクで出かけたわたしは、川のようになった東八道路をずぶぬれで走っていました。

バイクで出かけた先は国分寺。オイリュトミーの新しいコースがスタートしました。舞台を内側(創作)から、外側(制作)から作っていく研修の2年間です。

オイリュトミーを直接みなさんにお伝えしているわけではありませんが、基礎練習や感覚のエッセンスは、ボディートークで出会った方々との体験の場で混じり合うので、感覚ワークはとても好きな時間です。

昨日の4名の参加者は、時間と空間のあり方を変えるイマジネーションによって、身体感覚がどう変わるのかをしっかりつかんでいただきました。

空間には、意識によってエネルギーフィールドが生じます。

そこに立つとそのエネルギーをまとうことになり、本人も内的感覚に変化を感じるし、外から見ても姿勢や雰囲気、表情が変わるのを見てとることができます。

ベースは同じですが、毎回の顔ぶれによって、内容が変わります。

昨日は「審神者、書記官、語り部チームの特別な意識」が追加されました。

これだけはホワイトボードから内容を消してブログに載せています。もったいぶっているわけではなく、読んでも分からない変性意識の体験だからです。

わたしたちはあまりにも、自分でも気づかないほどに深刻に、ものごとや人を外側から理解するクセががついています。

ここでいう外側とは、「世間のものさし」という陳腐な意味ではなく、「ものごとや他者の内部にとって、あなたの世界観そのものが外部である」という意味です。

植物が見る世界と、動物が見る世界と、人間がみる世界は形が違う。

人間一人ひとりも、知覚の違いによりそれ自身の内的論理を持っている。

わたしはあなたの外部構成要素であり、あなたはわたしの外部構成要素である。

あなたがいなければ、わたしは皮膚を成すことすらできない。

わたしたちは分離した個体として表裏一体である。

このことを、脳波が見せるワンネスからではなく、量子化された空間からダイレクトに感じることができるのが、わたしたちのカラダというものです。

会話をするとき、発した言葉が自らの世界観を強めているのか、表裏一体に橋をかけ、その人の世界観そのものを内側から感じているのか、使い分けができるようになったとき、はじめてわたしは自らの世界観を形に、皮膚に表すことができます。

こういう体感を持って『ドン・ファンの教え』を手にとると、とてもおもしろいのですよ。

感覚ワークを深めていくと、それを知る前と知った後では、あらゆるもののおもしろさが圧倒的に変わるような感じになります。

「わたしはいちごが好き」「わたしもわたしも!」というとき、いちご好きチームの世界観は強化されます。これは春の味わいであり、同調です。

「あなたがいちごを好きだということを、わたしは栗を通して感じる」というとき、春のいちごチームと秋の栗チームは、季節という大きな世界観でひとつになります。これは共感です。

分類によればいちごも栗も果実であり、感覚によればいちごと栗は季節の流れです。(いちごは、ほんとは果実じゃなくて野菜らしい)

同調なのか共感なのか、分類と感覚のどちらで抽出しているのかを知らないと、話が噛み合わないよね。

通常は、噛み合ってないことすら気づかず、その場の刺激に無意識に反応して暮らしているのでしょう。

さて、今日は個人セッションが5つ。また違う体験の時間です。

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