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花粉症の診断を受けてから24年、意識と症状の大きな変化

花粉症の診断を受けてから24年、意識と症状の大きな変化

花粉症

Y.Sさんから、花粉症についてのボディートークセッション感想をいただきました。
昨年の12月下旬に受けていただき、また3月に受けにきてくださいます。

予約のご連絡をいただいた際、12月からの経過を教えてくださったのです。
とても嬉しいことです。

まず何よりも意識の変化です。

花粉症の診断を受けてから24年間、
「花粉症は治らない、花粉症だから症状が出るのが当たり前」
と思い続けてきました。

対象は埃・カビ・香水・林檎類と増え、
鼻水くしゃみだけだった症状も、目・耳・喉へと広がりました。
毎年、今年はさらに来年はもっと酷いことに?と心配していました。
最終的には、重い花粉症が自慢にまでなっていたような気がします。

セッションのお陰だと思いますが、意識が症状を引き起こし、酷くさせていたことに気
づきました。
初めて花粉症が表れたことには別の意味があったにしろ、その後悪化させていたのは自
分自身でした。

現在、間違ってはいたけど身体を守ろうと花粉と戦って来てくれた細胞に感謝して、
「花粉よどんと来い!体に入っても私は全く平気(*^-^*)v」と思えるのです。

まだまだ鼻水ちょろり、目耳の痒みの症状が出ますが、笑顔でこれを意識すると自然に
治まってきます。
(治ると解ってるからなのか?この時いつも笑っている事に気づいた!)

面白いことに私が常用していた薬、花粉症を忘れる程良く効きました。
他の人はそれ程でない様子。これも絶対効くという意識の効果ですよね。
今年から薬なしで済みそうです。

「まだまだ鼻水ちょろり、目耳の痒みの症状が出ますが、笑顔でこれを意識すると自然に治まってきます。」

この意識って素晴らしいことです。

『がんが自然に治る生き方』のなかにも、進行性腎臓がんから奇跡的な復活を遂げた日本人、寺山心一翁さん(通称シン)の意識の持ち方が紹介されています。

p85から引用します。

家に帰ってから僕は、なぜがんになったのか考えはじめました。そして思い至ったんです。がんを生み出したのは、睡眠もとらずに働き続けたこの僕なんだと。気がついたんです。自分が生んだということは、がんは僕の子どもみたいなものじゃないか。だったら僕は、がんに愛を送ろう。そう思いました。すると痛みが軽くなって、その夜はよく眠れたんです。
翌朝、目が覚めると、気持ちも頭もすっきりして、いつも使っていた鎮痛剤がいらなくなりました。それからは、鎮痛剤は使わずに、もし痛くなったら話しかけることにしました。
「そうか、痛いんだね。ありがとう、教えてくれて。君は僕の子だ。愛してるよ」

著者のケリー・ターナーは、

シンのように、がんを「病んだ子ども」だと思って愛を送ることにした、と考える人は私が実際に話をしたがん患者のなかに、ほかにはいませんでした。
彼以外の人はみな、がん細胞は体内に侵入した敵で、退治すべき存在だと考えていました。

と語っています。

Y.Sさんが自発的な意識としてやったことは、まさにこのシンと同じ、症状への愛でした。
ケリーが接したがん患者に同じような意識を持った方がほかにいなかったということは、もしかしたら、日本人が昔からもっている心の持ち方なのかもしれませんね。
わたしにとっても、馴染みやすい感じ方です。

読む人を力強く励ましてくれるような感想をいただき、心から感謝いたします。

Y.Sさんのセッションそのものは、実は花粉症がテーマではありませんでした。

最初に優先としてバランスをとりたがっていた項目は、「目」に宿っていた自分や人、ものごとを許せない意識です。
正義感や潔癖さ、癒しに関われていない自分への怒り。
その意識が、人の行動の醜さへのアレルギーへリンクしていました。

それが神経伝達に影響を与え、しかし今のまま我慢していないと生活できなくなるのではという葛藤があり、身動きがとれなくなっていました。

また、自己の分離感、鋭敏な嗅覚などもバランスする必要がありました。
花粉そのものは、不耐症として分離感のサブセッションとしてのみ登場しました。

花粉症は、花粉とたたかうことでも、症状を抑えることでも、根本的には軽減しません。
どうバランスをとればいいのかは、身体の自己治癒力が知ってるのです。

疑心暗鬼でもOK、まずは笑って愛してみましょう。
自分を、自分の症状を。