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ひどかった咳喘息がおさまり、魂の目覚めへ

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春分の日、大きなエネルギー変化にぴったりなお手紙が届きました。
ご本人が変化をまとめる意味もあって書いてくださり、読む人を勇気づけてくれるような内容で、心から感謝いたします。

腰痛が改善した友人からご紹介をいただいた、カラフルさんという女性です。3歳のかわいいお嬢ちゃんがいらっしゃいます。
初回は無料体験で直接セッション、あとは遠隔セッション2回を施術させていただいています。

ボディートークは量子力学を応用し、優れた情報探索システムをもっていますので、離れていても同じ施術ができます。

カラフルさん、最初のころは本当にひどい咳喘息とプライベートな環境にお悩みで、体はがちがちにこわばり、咳喘息自体が不眠とストレスを増加させていく悪循環におちいっていました。

真っ先に課題として上がったのは、「願望によって行動する」ということでした。
恐れや痛みにとらわれた願望ということです。
大きな感情解放と、内臓、内分泌、神経系、自己愛の意識など、さまざまなバランスをとる必要がありました。
飲んでいるお薬の副作用のバランスなども出てきています。どんな治療とも「ケンカ」しないのは、ボディートークの強みです。

そこからさらに「才能への目覚め」「新しい人生へのおそれを手放すこと」へとセッションは進んでいきました。

今では咳喘息がほとんど治まったという嬉しいご報告をいただいています。
ただし、施術後の一週間は、感情解放とともに、逆に一睡もできないほど咳がひどくなる反応が強く出ました。
その苦しさを乗り越えて、施術を信頼し受けてくださったことを、とても嬉しく感じています。

以下、カラフルさんからの文章をそのまま掲載いたします。
フィードバックへのご協力、ありがとうございました。

* * *

私がボディートークを受けようと思った最大の理由は、しつこい持病があったからです。
咳喘息(東京都から公害病認定)5年、蕁麻疹6年、偏頭痛6年です。
病院にも通っていましたが一向に良くならず、ひどくなっていく一方で、わらにも縋りたい気持ちでした。
同時に、私生活でも色々うまく行っておらず、すごく落ち込んでいました。
そんなとき、お友達がボディートークで長年の腰痛がすっと消えたと聞いて、ぜひ試してみたいと思いました。今まで三回受けたので、その経過を記したいと思います。
初めて受けてから三回目まで三ヶ月ほどです。

あまりどういうものか詳しく知らないまま受けたので、初めは色々びっくりしました。
タップするだけでバランスを取ることや、フィジカルな問題だけではなく、内面に深く切り込んで行くこと、またそれによって現実世界も変化していくこと……。
驚きの連続でした。こんな世界があるのかと、最先端の癒しの手法に魅了されました。

持病を治したい一心で行ったものの、ボディートークは身体の導きに従うものなので、身体自身がバランスを取るべきものを施術者に教えてくれます。
なので、自分の意図とは全く違うところで、思いもよらなかったところから癒やしが始まったりするのが、とても面白いところだなと思います。
施術して貰うことと同時に、もっと身体を信頼し、身体の治癒力の神秘に身を委ねることの大事さまで教えて貰っている気がします。

内面に深く切り込まれたのには驚きました。私は藤田さんに特に詳しいことをお話したわけではないし、もちろん初対面であるにもかかわらず、ずばり私の本性を探り当てて頂き、自分の恐れや欠乏感、コンプレックスなどすべての負の要素を根こそぎ手放すような手助けをして頂きました。涙が溢れて止まらず、怒涛のように咳も出てきて、相当苦しいセッションではありましたが、とても大きなものを手放したという実感が後からゆっくりと湧いて来たのを覚えています。

初回セッションの後一週間ほど苦しい時期が続きましたが、その後あれほど苦しんだ咳喘息は収まっています。今でも何かを手放したあとなどは、咳と痰が出ていくのですが、以前のような「忌むべき病」ではなく「ああ、身体がいらないものを排出してるんだな」と頭で理解している上での症状なので、そんなに感情的になることがなくなりました。

二回目のセッションは偏頭痛についてでした。
私は全ての偏頭痛患者の中で10%ほどに現れる、閃輝暗点という、ギザギザの光が偏頭痛の前兆として現れるタイプでした。偏頭痛はひどいときは吐き気と下痢を伴い、5時間くらい何も出来なくなってしまうこともあるので、光の点が視界に現れると、恐怖と冷や汗で動けなくなってしまうほどのものでした。

これを藤田さんは、私の想像もしなかった解釈で、新しい次元へと変化させてくれました。
二回目以降は遠隔セッションだったので、どうなるんだろうと不安とワクワクがありました。
開始10分で身体が急激に重くなり、歩けないほどになり、すごく驚きました。
その後もセッション中はフワフワした感覚で、雲の中にいるような感じを味わいました。
終わってから藤田さんのメールをワクワクして開いたのですが、思いもよらない内容に驚きました。
私の恐怖の対象であった閃光暗点は、私の鋭敏な視覚によるもので、それをアーティストとしての才能に転換しました、ということでした。
なんということでしょう!そんなことが出来るなんて!!

そして「あなたの魂は、グラフィックの才能にあふれたアーティストです」という一文を読んだ瞬間自分の奥の方からものすごい喜びが湧き上がってきました。井戸が初めて開通したときのような怒涛のような喜びが湧いて来たのです。涙が溢れて溢れて、止まりませんでした。
自分でもなんで自分が泣いてるのか、なぜ喜んでいるのか、頭では混乱していました。
でもとにかく嬉しくて、心の底からぽうっと「やっと思い出せた」という言葉が浮かんできました。
後で藤田さんに「泣いているのは魂のほう」と聞いて、腑に落ちました。

1年に数回症状が出る、という程度の年もあり、まだ「完全になくなった」と自分では言い切れないのですが、セッション後、今のところ偏頭痛の症状は一切出ていません。
今後数年出なければ、治った!と声を大にして宣言出来るのかなと思っています。

ちょうど今は私自身の大きな転換期で、身体も現実世界も、大海原の中で嵐に会い、必死に舵を取っているような状態です。そんななか、ボディートークを受けることは、私にとって暗い大海原の中で、光のガイドを受けているようなかんじがしています。
何が何だかわからなくて必死なんだけど、とにかく導きに従って進んでいる、というかんじです。
光を授けられることが運命だったのか、たまたま見つけたのか私には知るよしもありませんが、夜の嵐の海の中で、もし光がなかったらと思うとぞっとします。

三回目は、海を越えての新天地で受けました。
新しい生活や見えない未来への不安が身体症状として出ているときで、大きな恐れを手放しました。
ボディートーク後は、浄化が進むので、私はセッション後しばらく具合が悪くなることが多いです。
でもそれは、身体がそれだけ素直に反応しているのではないかと思います。
三回目のセッション後もしばらく咳、喉の痛み、痰が続きました。
そして不思議なのですが、現実世界でも浄化のようなことが起こってくるのです。
普通に生きていると、施術と現実世界は別のものだと考えてしまいがちですが、自分の生きている世界を
作っているのは他ならぬ私たち自身であり、全ては繋がって連動しているのです。
セッション後の具合の悪さが抜けたあと、私の中に、当初あった恐れはどこにもありませんでした。
そして、自分自身と、自分の人生に対する信頼が芽生えたように思います。

私がこの後、どの土地で誰とどのようにして生きるのかは、全く未知の状態です。
私の人生はわりと波瀾万丈で、普通に安定して生きている日本の社会人とは少し異端の人生を生きています。苦労もたくさんありますが、その代わり学びを深める機会もたくさんありました。

ボディートークや様々な心の旅を経験して今思うことは、魂の本来求めているものを見つけること以外は実はどうでもいいことだということです。どうでもいいというのは、魂の求めているもの、コレだ!というものを見つければ、その後の現実はそれを具現化するためについてくるものに他ならなくなるからです。暗い海の中にいても、光さえ見つかればそこに向かっていくだけですよね?
人生はそんな風に、実はシンプルなものなのではないか、というのが今思っていることです。

それが正しいのかどうかはわかりません。でも、私にとってはとても大切な発見でした。
ボディートークは、その魂の求めているものを見つけ出せるようバランスを取り、手助けをしてくれるものなのではないかと私自身は解釈しています。

これからも、隠れていた恐れが出て来たり、悲しんだり、人間らしい感情を体験していくと思います。
迷ったり、苦しんだりもするでしょう。でも、今までの人生のように、それに囚われて進めない、ということはもうなくなるのではないかと思っています。
今までよりもずっと素早く、浮上出来るようになるでしょう。
今後どこで何をするかは今の私にはわかりませんが、もう私がアートと切り離されることはないでしょうし、アートを通じて魂の輝きを表現していくことを自分から止めてしまうことはないでしょう。

現実世界でも、直感がどんどん研ぎ澄まされ、魂の求めているビジョンを具現化していく速度が早まっているような感覚があります。しかし同時に、それに対して大きな壁が立ちはだかり、とても実現不可能という状態でもあるのです。なぜかはわかりません。不思議です。
ただそれが何であるにせよ、私は自分の心に従って、粛々と前に進んで行く、光の方向を目指して進んでいく、それだけかなと思っています。その間に何が起きても、それは起きるべきことなのだと思います。