老いたカラダの神聖、病んだカラダの神聖


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ご家族の承諾を得て、チャーミングなクライアントさんのことを書かせてください。
今日は、カラダの神聖さに大きな感銘を受けたセッションでした。


腎臓の透析。腕にシャント(人工血液回路)、脚にシャント。
大腿骨骨折。放置され、以来歩行自立困難。
ペースメーカー。
せん妄による統合失調症の診断。
大腸がん手術。

日々のお薬、たくさん。


これだけ病名がついていると、もちろん病院ではすべて科が違うので、ご本人の負担も付き添われるご家族も大変です。

ボディートークは、施術者ひとり。
どんな病気でもケガでも心の悩みでも、必要なバランスをつきとめて脳の変化をうながし、心臓と腸とで統合していくだけです。

せん妄については一見して認知症や器質的なトラブルではなく、肺経・大腸経のアンバランスが出ていたので、ご家族が驚くほど改善がみられました。
むくみ、肌のトラブル、骨折した大腿骨も、長い人生でためこんできた感情解放も、少しずつ良くなり、誤解をおそれずにいえば「人間らしさ」を取り戻しています。

とはいえ、寝たきりで日々を過ごし、シャントで可動域も制限され、ご本人は耐えるばかりで周囲環境への興味を失っているかのように見える状態でセッションを続けていくのは、なかなか厳しいものがありました。

ボディートークでは、「治そう」という意図は、逆に問題を固着させてしまうため、施術者のエゴとして手放します。

しかしわたしはどこかで、「治そう、治したい」と思っていたのでしょう。

長さが極端に変わってしまった脚や、治療でボロボロになった血管、あちこち拘縮した関節、弾力を失った結合組織を、どうにかしてあげたい。


今日の施術で、「どうにかしてあげたい」という課題をもっている自分に気づき、「治そう、治したい」という思いが黙したとき、カラダから、また違う声が聞こえてきました。

それは、神経筋フィードバックで情報探索するボディートークとも違っていました。

最初に語りはじめたのは、膝でした。

これまでの人生が(膝にとって)、どうだったか。
膝が、その形、その状態となるまでの悠久の歴史を、語りはじめたような気がしたのです。

老いの原因、病いの原因とも違う、ただ膝が静かに自己を語る。

誰の骨とも違う、正しさとも違う、静かに静かに、膝は自己を開示しはじめました。

骨の形を通して、構造を通して、クライアントさんが歩んできた唯一無二の人生が見えてきます。


それは脚全体へ。腕へ。

老いによって、いくつもの病いによって変形し拘縮した四肢は、わたしの手の中で、ひたすら美しく感じました。

絶対個我である、唯一の存在。

不思議なほど、空間も時間も神聖でした。

ご本人も、それまではご機嫌ならご機嫌、不機嫌なら不機嫌な方でしたが、穏やかに何かを感じ取っていらっしゃるようでした。

手に感じた、神聖なる環椎。坐骨。踵骨。骨盤。
わたしはいったい、何にふれたのか、感覚は強烈ですが、よくわかりません。


5月29日の満月では、「人の役に立たなければ」という思いを手放しました。

久しぶりにfacebookで人さまの活躍を眺めていると、ついそんな気分になるのです。


その手放しが、真っ先に実現したのが、このセッションかもしれません。

役に立たんでもええ。
絶対個我である、唯一の存在としていられるならば、それでいい。

生命の営みに、間違いはないのだから。

その証しを、お客様に教えてもらったように感じました。

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