究極の引き算で、空になるカラダ - Holistic-web

葦江祝里

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震災と遠隔セッション「卵巣腫瘍が消えました」

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熊本・大分地震が発生したのは、2016年の4月14日でした。 その後、大きな余震が幾度となく発生し、熊本・大分だけでなく、九州全域が不安に包まれているようだったのを、よく覚えています。 わたしは、東日本大震災で何もできなかったことを歯がゆく思い、熊本・大分地震では、少なくとも地震というストレッサーは軽減できると、ボランティアでの遠隔セッションを受け付けていました。 そのときお申込みくださった佐賀の […]

セルフセッションと、遠隔セッションの感想をフィードバックします

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細胞の新しい意識をダウンロードしたら、新鮮なイワシが降臨しましたよ、奥さま。 最近ブログいっぱい書いていて、いつのことやらわからなくなっていたけど、食の人付き合いとオーガニックに関する細胞の病的な意識を書き換えて、自分の細胞に新しい意識をダウンロードしたのが2月27日。 そのあと紆余曲折的な混乱が少しあり、今日3/11は、新鮮なイワシをコンフィで食そうと画策するにいたった。 いただきものの珍しい純 […]

震災の日と野狐禅(やこぜん)

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7年前は、たしか心不全からの療養中で、戯曲を書いたりヘーゲルを読んだりしていた記憶があります。 体がガイコツのように干からびて痩せ細りました。 痩せ細ったというより、干からびた。 服を着ちゃうとわかんないけど、スルメかエイヒレの干物みたいになる。 療養中はそうとう体調管理や食事に気を付けていたはずなのに、甲状腺をとった影響もあったのか、逆に今度はどんどん体重が増えて、その諸々の解決に、友人からボデ […]

排泄知覚のナゾと、生態系(エコシステム)の考え方

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「女優はうんちをするのか」というテーマを、今でもまじめに考えます。 わたしは子どものころ、人間のもっている排泄機能やトイレ文化が、不思議でなりませんでした。 人間は、とても高い精神性を脳の機能として持っています。 だから、動物存在としてうんちやおしっこをするとき、その行為をしている自分を知覚します。 高次精神と排泄が同居していること。 綺麗な女優もうんちをすること。 そのことに、毎回びっくりするの […]

手術前後の体調管理、アスリートや受験生の実力発揮のためのセッション

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クライアントさんの中に、何人か受験生がいらっしゃいます。 中学受験の男の子・女の子、医療系の国家試験を受ける青年、わたしと同年代で医学部にチャレンジする受験生まで、さまざま。 その中でひとり、中学生の頃から知っている女の子が、昨日合格発表で、見事、第一志望の国立大学に合格しました。 LINEで、こんな感想を送ってくれました。 受験直前になると自分の今までの学習は不十分なものだったのではないかという […]

そういえば、の受け取り方。

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・・・・・・。 ・・・・・・。 ・・・・・・そういえば。 「リキみが抜けないんです」というクライアントさんが、減ったなあ。 よくなっていることって、「悪い」「嫌だ」と思っていることより、気づきにくい。 静かな雨の日って「そういえば」を受けとりやすいかも。 あなたには、どんな「そういえば」がありますか? 静かな雨の日に、問いかけてみてください。 どう受けとるかを決めているのは、脳のとある部分。 わた […]

今日も誰かの自己治癒力とともに。

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人のシューズを間違えてしまい込む。 筆入れを稽古場に忘れる。 国分寺のシューレ天使館を終えて、高田馬場のワークルームへ。 次は聖路加病院。 もひとつ移動して、銀座にできたばかりのオサレなホテルへ。 稽古三昧、セッション三昧。 ご飯は公園で五分間。コンビニのコーヒーとともに。 寒くても外のほうが、体が元気な気がする。 志望校の国立大学に合格したお知らせを受け取る。 大きな手術を終えて、無事退院したお […]

自己と、非自己。自由、平等、博愛。

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わたしたちの頭部は内側に丸まり、外界からの完全な自由を保つ。 わたしたちの胸部は呼吸を繰り返し、すべての感情に平等を与える。 わたしたちの腹部は個と全体を知り、博愛に満ちた活動を行なう。 自分だけの体の内で 苦しみの感情に支配されている限り 精神は弱いままでいる 精神に圧倒的な自由を。 感情にあらゆる大きさの波と凪とを。 家庭は集団は、どうやって健康な人の腹部のようになれるのだろう。 愛は、どうや […]

わたしを応援してください

4月から、施術のスタイルを変えていく予定です。 ボディートークは今までどおりですが、その場で必要なワークを個別にやることもあり、そうすると時間ばかりかかって、しかもやりっぱなしになってしまうので、どうしたものかなと思っておりました。 疾患がある方は、最初はそのことに夢中で、誰にでもいいから治してもらうことばかり考えています。 これはもう当然かもしれません。 そういう方は、「自己治癒力が弱いからだめ […]

満月の前に、ジャッジメントを手放す極意

3月、あったかくなりましたね。 今日は2本の記事を書きます。 まずは、ジャッジメントを手放す極意。 極意は、誰にでもできないと極意じゃなからおいそれと使えない言葉だけれど、わたしの「「ジャッジメントを手放す極意」は、ブログでひょいひょい書いても、誰でもひとりでできます。 だから極意と呼んでいいのです。えっへん。(ドヤ顔) 「ジャッジメントが手放せません」「またジャッジしてる自分が嫌」という相談を、 […]

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