表面的な意味と内的な体験、パンニャッティとパラマッタ
「言葉の行間を読む」という言い方がありますね。
行間を読む時、表面的な字面の意味は消えて、内的な読書体験がたちのぼってきます。
旅行にいっても、ガイドブックみて写真を撮って記録に残そうとする作業と、その場にしかない空気感覚・時間感覚を味わう作業とでは、刻み込まれるものがまったく違います。
前者は記録と頭部記憶、後者は身体感覚と感情記憶。
内的な体験は、わたしたちは通常「心で起こるできごと」くらいにしか思っていませんが、「外部に対象がある」という知覚があって、はじめて内的な体験が意識化されます。
内的な体験は、意識化されることではじめて、瞑想のように外部を遮断して内部体験だけになる作業へと深めることができます。
外部を再発見し、内部を再発見する。
先日、とあるセッションで、お母さまもお嬢さんもセッションをさせていただいているのですが、お譲さんの気質について、お母さまにこんなふうにお伝えしたことがあります。
上の旅行の例です。
ガイドブックと写真記録派は、仕事も早いし成績もいいかもしれない。
お嬢さんは後者の内部体験のほうがとても豊かで、今はそれが、仕事や学びが遅いと見られて、人をイライラさせるかもしれない。
でも、お母さまがご自身の抑圧していた内部世界を再発見していくことで、お二人とも二、三年のうちに、大きく変わっていくでしょう、と。
* * *
昨日のボディートーク勉強会では、「外部を再発見し、内部を再発見する」ことを、もっともシンプルな作業に置き換えてやってみました。
音そのものを聞く、音の間(ま)のニュアンスを感じる。
内部で行なわれる二つの力の流れも、簡単なワークで体感できるようにします。
・ある食べ物を思い浮かべる。(想像力)
・昨日の晩ごはんを思い出す。(記憶意識)
・すると頭の中では、思い浮かべた食べ物と、昨日の晩ごはんがごちゃっとします。(拡散)
・もう一度、ゆっくりとある食べ物だけにイメージを戻す(集中/収縮)
このプロセスが「集中力」という収縮する力の流れのプロセスであることを確認してから、今度は意識を360度すべての方向への気づきへと広げる。
その意識状態(ゾーン感覚)でクライアント(練習相手)に向かい、必要な情報を読みとっていく。
ゾーン感覚で、情報を言語化する作業にトライする。
さらに、情報の周波数領域を精密化する。
これをやってみたとき、わたしとペアを組んだ参加者のA君の情報精度がぐっと深まったので、この練習はまたやろう、と思いました。
(3/9(金)18:30からやります!)
「なんとなく直感」で受け取っているものを、より明確なフィールドの層として感じること、それを言語化することで、左脳との共同作業を実現していくこと。
右脳と左脳の共同作業によって回復されていくのは、カラダと頭の結びつきだけでなく、形骸化され実現力を失った、言葉そのものの力(ことだま)だなーという実感があります。
この実感はまだ薄く、どれだけ深めていけるかは、これからのわたしのプロセスです。
ボディートークで体系化されている膨大な概念。
わたしがこの三年間やってきたことは、「概念」を安易に使ってしまうこととの格闘だった気がします。
概念をパンニャッティ、内的な体験(実相)をパラマッタと呼びます。
どれだけの繊細さをもって、パンニャッティ(概念/知識)に命を吹き込み、パンニャ(般若/智恵)とパラマッタ(実相)を結びつけていけるか。
物質世界に閉じこめられ、意味が「鬼」へと変質した「般若」という言葉。
命なき鬼と化したわたしの心、人の心を、溶かしていけるか。
* * *
人間がどうやって肺呼吸を獲得してきたのか。
人間がどうやって目を獲得してきたのか。
その悠久の進化の旅を、カラダへの限りない胃敬をもって予感できたときから、わたしはオイリュトミーシューレという場所に自分を置いているのだと思っています。
予感を、深い実感(自己体験)と外部表現(他者体験)につなげていく行が、オイリュトミーです。
肺や目と同じように、人間がどうやって感情や概念を獲得してきたのか。
感情や概念の獲得もまた、悠久の精神の旅であること、自由への旅であることを予感できたとき、わたしは言語創成の瞬間、音の内実の瞬間へと向かう決意をしたのです。
その決意は、わたしがボディートークの「概念」へ向かう姿勢を一変させました。
わたしがまだ未熟であっても不完全であっても、概念に内実を吹き込んでいく作業への献身を忘れずにいられる、内実から概念を拾い上げていく閃きを与えてくれる。
これが「自由自在」という花のひとひらか、と。
* * *
肺呼吸は、個体ひとりではできません。
周囲の空気や植物の愛を必要とします。
そもそも体内での魚類体験を経なければ、誕生と同時に肺呼吸は実現できないのです。
同じように、言葉は一人では成り立たず、他者や対象を必要とします。
言葉の成立と同時に、対象創造と他者関係の成立がなされた、というほうが厳密な言い方ですけどね。
言語創成と音の内実を、どうやって他者や時空と共有していけばいいのか。
どうやってそれを物質世界で持続可能な生活の中に落とし込んでいけるか。
ボディートークも4年目。
オイリュトミーシューレも3月で3学年が終わって4年目へ。
石の上にも三年というけれど、「3」から「4」への変容は、すごくすごく強い大地のエネルギーなのです。
ちなみに「5」はピラミッド。アセンションの浮力。
これは再来年の卒業の時期。
それがわたしの新月期、最大変容の時期にあたっています。
ひ、ふ、み、
実を結び、
結んで開いて、
いついつ
出会う、
はーー。
体験を、誰と、どうやって出会い、どんなふうに共有していけるのかなあ。
ぷるぷるするほど怖くて、
ぷるぷるするほど楽しみだ。
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