満月の前に、ジャッジメントを手放す極意
3月、あったかくなりましたね。
今日は2本の記事を書きます。
まずは、ジャッジメントを手放す極意。
極意は、誰にでもできないと極意じゃなからおいそれと使えない言葉だけれど、わたしの「「ジャッジメントを手放す極意」は、ブログでひょいひょい書いても、誰でもひとりでできます。
だから極意と呼んでいいのです。えっへん。(ドヤ顔)
「ジャッジメントが手放せません」「またジャッジしてる自分が嫌」という相談を、すんごく受けます。
スピリチュアル本には、決まり文句みたいに載ってるもんね。
本を読んで、その通りできなくて、卑屈になっちゃうとしたら、そんな本は燃やしちゃえばいいんですよ。
その言葉は、もしかしたら正しいのかもしれませんが、「できてる筆者 vsできない読者」の図式にはまりこんでいるのだとしたら、そこから離れたほうがいい。
脳(マインド)は、ジャッジメントするのが仕事です。
どっちが損か得かを価値づけする、どっちが良いか悪いかを判断する大脳皮質が、わたしたち現代人はすんごーーく発達しています。
ジャッジメントは、社会生活のなかで発達させてきた、ただの機能です。
「ジャッジメントが手放せません」という多くのケースが、「わたしは自分や人を責めてクヨクヨしている、だからきっとまだ自己価値観が低いんだ」という解釈によるものです。
それって、大事な機能をいじられようとして嫌がった脳(マインド)が、適当な理由をつくって、あなたを言いくるめてるだけだから。
ジャッジメントは、手放すのが大切なのではなく、手放した感覚をつかむことが大切です。
もっかい言いますね。
手放した感覚をつかむこと、です。
社会生活を送っているときに適正なジャッジメントを使い、そうでないときは、つねに新鮮でフラットな眼差しを世界と自分に注げるように。
だから手放さなくていいです。これは感覚で使い分けます。
で、極意ね。
(1) 歌の入った曲を1曲用意します。
日本語の歌がいいかな。
覚えててすぐ口ずささめるような。
英語っぽい歌とかノリで歌ってるようなのじゃなく、聞いて意味が分かる歌。
(2 歌入りで曲を聴きます。
音楽と意味の両方が、リズムと一緒に自分に流れ込んでくるのを、よーく感じてください。
(3) 音源を止め、自分の声で歌を歌ってみます。
覚えてる出だしや、サビのとこだけでいいです。
意味と結びついた歌が、自分から発せられているのを、よーく感じてください。
(4) その曲の、カラオケバージョンを用意します。
カラオケ―バージョンが入手できるような歌謡曲がいいのだけど、もしどうしても手に入れられなかったら、歌なしの伴奏だけが流れているのを、よーくイメージしてください。
伴奏オンリーのカラオケバージョンを聞きます。
このとき、頭のなかに歌詞が勝手に流れ込んで、曲と一緒に流れてる箇所、歌詞が流れ込まず、伴奏だけ流れているところを、よーく感じてください。
一緒には歌わないでください。一緒に歌って悦に浸るのは、この練習の後で。
(5) カラオケバージョンをもう一回流します。
歌詞が流れ込まず、伴奏だけだった感覚を思いだし、その感覚を保持してみてください。
歌詞が流れ込んできたら、そこに注目せず、背後にあるピアノやギター、ドラムの音に注意を払うようにしてみてください。
この、「歌詞を切り離して伴奏を聞いている身体感覚」は、「ジャッジメントを手放している身体感覚」とすごくよく似ています。
最初から手放さずに、まずは歌詞と伴奏を聴き取る、次に歌詞だけを自分で発し、最後に伴奏だけを聴き取る練習です。
ピアノをされている方なら、上声部と下声部をわけて聴き取る耳にも良く似ています。
ここでは「意味づけ」も必要なので、歌詞と伴奏を分けるのです。
「よーく感じてください」というのは、できてるかどうかはどうでもよく、耳をすませて曲を聞いている自分を受け止めてあげる感じです。
音楽を一生懸命きいている子どもを、親が背後から抱っこして見守っている感じ。
みんなひとりひとり曲が違うはずなので、これはワークショップより、個別にひとりでじっくりやったほうがいいかもれません。
そして、今日の夜にちょっと練習して、伴奏だけを聴き取る耳の感覚をつかんだら、明日の朝、外へ出た時に、その感覚をもって春の大気の中に立ってみてください。
靴の履いた感じ、服の着心地、目がとらえる空、満開の梅、車の音、電車の音、春の陽気の気配。
意味はあとからどんどん入ってきてしまいますが、最初の、ほんの一瞬でいいのです。
春が、春の伴奏だけを奏でている朝を、体験してみてください。
もし気が散ったら「スペース」というと、少し意味と切り離された空間ができます。
もう一度、上に書いた曲の聞き分けをやってみて、今度は夜、春の月を感じてみてください。
明日はちょうど満月です。
満月というと、願いごとではちきれそうになっている方もいます。
その願いを叶える脳の状態をつくりたかったら、このワークはおすすめです。
なんてったって極意ですから。
伴奏だけを聞いた感覚で外界を感じ取ることをつかめたら、それは一生モノの感覚です。
なんで極意、極意、といってるかというと、今日あたりから花粉がひどくなったらしく、周囲でズビズビ聞こえてくるので、シューレの仲間たちに鼻炎のない世界に住む極意をお伝えしたのです。
これはイメージ力がかなり必要のなのですが、体の反応のよい人たちなので、すぐ効果が出てました。
鼻炎のない世界に住む術は、ワークショップで数回やりたいですね。
これは極意じゃなくて、やっぱり術の類かもしれない。
邪魔が多すぎるので、排除するのに対面でのワークが必要になると思います。
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