気質と遺伝 ─ 運勢がどうだとか、先祖の祟りだとか、星回りがどうだとか、名前がよくないだとか、本来そういうことはいっさい関係ないのです。
- 2018.11.09
- セッション

食べる、動く、起きて寝る。
食べる、のワークショップと、動く、の人様のワークショップを紹介して、わたし自身が考えているのは、起きて寝ること。
起きて寝るは、わたしにとって、生と死とほぼ同じ意味。
起きて寝て、また起きても引き継がれる自己同一性。
昨日も自分。今日も自分。
そのことに、わたしは子供のころから毎朝びっくりし、同時にがっかりしていた。
昨日も自分。今日も自分。
その引き継ぎは、自己の内部においておそろしく儚く、自己の外部環境においておそろく強固で、今日も明日も「お前自身」であることを強要される。
自己同一性とは外部と共有される記憶なのだ。
そう看破していた小学生のわたしは、今の100倍も哲学者だった。
* * *
世の中には、気質やタイプ分析といったものがある。
シュタイナーにも四つの気質があり、グルジェフはエニアグラムを開発し、現代のコミュニケーションにおいても人のタイプはとても重要視される。
わたしはこのタイプ分けが大嫌いだった。
小さいうちから周囲環境に合わせるために意識を上げ、気質の自己修正を繰り返し、状況に応じてどのタイプにもなれるようシノいでくると、タイプ分けのワークでありがちな、最初に他人をあれこれタイプ分けして喜ぶ段階がバカバカしくて仕方がない。
シュタイナーの気質も辟易で、もしも教育から入ったら、わたしはシュタイナーに近づきもしなかったろう。
実際、彼に出会ったのはほんの5年前なのだから。
* * *
タイプ分け大嫌い。
この考え方が変わったのは実は一年も経たない最近のこと。
起きて寝て、また起きても引き継がれる自分がいるように、
生きて死んで、また生きても引き継がれる自分がいる。
生と死のプロセスの間にあって引き継がれるもの。
気質。
遺伝。
過去生。
これらはほぼ同じ意味なのかもしれないと気づいたときから、人のタイプを見直すようになった。
ボディートークにはユングの元型論が深く根付いていて、とくにライフサイクルと第8チャクラの概念には、集合的無意識を投影した元型が色濃く出ている。
わたし自身は、キャロライン・メイスの紹介している72の元型と十二宮との照応をセッションで援用することがある。
キャロライン・メイスは著書『第8チャクラ』の中でこう記している。
黄道帯の十二の星宮と対応する十二の元型が、さまざまな組み合わせとなって私たち一人ひとりの内面にあり、人としての成長を助けるように働きかけている。
元型は、私たちの内に秘められた「神」を目覚めさせてくれる。自分自身の思考や感情の限界から解き放ってくれるのだ。魂の暗い部分や、ほとんど知らなかった片隅に光をあて、本来、自分のもつ輝きと強さを導き出す助けとなってくれるのである。
元型は、感情、身体、そして霊性の力の源であり、怖れから解放してくれる。
十二宮や元型を、具体的な身体レベルで理解し、語り、かつワークでき、変化を及ぼせる人を、わたしはあまり知らない。
その理由はおそらく「身体は人生の履歴書」という言葉が、あまりに過小なスパンでとらえられているからだろう。
身体は、引き継がれたすべての履歴書であり、それは個人的で、地球的で、宇宙的なものだ。
その視座に立ってはじめて、感情、身体、そして霊性を、深い恐れを見ることができる。
いや、そもそもどの視座に立つか、そこからが気質の中に埋め込まれているのかもしれない。
レムリアの記憶にまでさかのぼれば、振る舞いは自ずと決まってくる。それが宇宙道徳と呼ばれるものだろうと思う。
いずれにしろ、わたしたちは自己教育によって、すべての気質、すべての元型から自由になれる。
人のことも縛らずにすむ。
かつて、受動的に自己矯正した気質を、今度は能動的に解放して行けばよいのだ。
人間一人ひとり、とっくに終わっているトレーニングと、これからチャレンジするトレーニングが違う。
自分が終わっているトレーニングと、これからのチャレンジに気づくことはとても大切だ。
なにも慌てることはなく、比べることもない。
* * *
最近読んだ本で、一番のお気に入りはこの文章。
運勢がどうだとか、先祖の祟りだとか、星回りがどうだとか、名前がよくないだとか、本来そういうことはいっさい関係ないのです。
これらの運命則は、わたしたちが旧時代の周期に受け取り、体系化し、引き継いできたもの。
わたしたち人類は、大きな転換期を迎え、もはや一切の引き継ぎが無効と化す新時代に入っている。
そのことを科学の分野で端的に表現しているのが、エピジェネティクス。
DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステム。
起きて、寝る。
睡眠もまた変わっていくだろう。
自己同一性を、自分の意志で保つ時代がくるだろう。
そのことを、子ども時代のわたしが知ったら、さぞ喜ぶはずだ。
いっさいの傷を、わたしたちは手放すことができる。
ではどのように睡眠時の意志を持つのか。
どのように死者の国の意志を保つのか。
そのための知識、訓練、カラダ作りは日々教わり、積み重ねているけれども、自分自身の気づきや体験、腑に落とすところにはまだ先がある。
肉体においては視床下部、精神においては松果体の領域で、その統合がプロセスとなる。
しばらくこのことに沈潜し、何かつかんだらまたブログに戻ってこようと思う。
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