究極の引き算で、空になるカラダ - Holistic-web

古い仕事を手放す。

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昨日、ジャイロのレッスンでお世話になっている新井亜季ちゃんのスタジオで、ふと自分がもらした言葉に「ふーん、そうか」と思うところがありました。

「ビジネスに特化したセッションをやめよう」という言葉。
たしか氣学かなにかの話をしていて、思いがけずに。

このところ胃腸を弱らせている方とよく出会います。
出会います、というのはセッションの中でですが。

シフトも起こりにくく、どなたもちょっと長引いている模様。

なんでかなーと思っていたとき、「ああ、自分の胃腸も関係あるんだ」と気づきました。

ビジネスサポートを強みにしていくのが、今のわたしの胃腸にとってはしんどい」のだと。

通常、胃腸関連について、テクニックとしては内臓の同調回復、慢性ストレスのバランス、体化学、微生物のバランス、横隔膜の解放など、いろいろあります。

が、しかし。

そうしたフィジカル的またはエネルギー的なテクニックより、もう一段深いところに何かあるように感じています。
最近のクライアントさんの胃腸も、わたしの胃腸も。

代謝回路やホメオスタシスについては、施術への理解のため、かなりおべんきょーしました。
消化器系、泌尿器系、呼吸器系などの器官システムについてもしかり。

でも、次のような文章に出会うと、代謝や生化学プロセスの現代的な知識が、たとえどれだけ複雑にみえようと、いかに浅い知識であるかを思い知るのです。

「代謝の始まり」について述べている文章です。
抜粋しても解説なしでは意味不明なので、要約します。

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レムリア期よりさらに前の、人間存在の萌芽の時代。

この頃の人間は、生命力のほかに「化学エーテル」と呼ばれる「音」ないしは「数」の響きによって、今日の原子分子間に働く吸引力と反発力と似た働きを行なっていました。

化学エーテルのこの働き(吸引力/反発力)によって、特定の素材を環境の中から引き寄せて自分の中に摂取し、その後で反発力を通して再び排泄する。これが新陳代謝の始まりである
(ルドルフ・シュタイナー『アカシャ年代記より』(p100)

「新陳代謝の始まり」と訳文にはありますが、素材を環境から摂取して排泄するのは、食事や生活で行なわれる代謝も含むので、細胞が入れ替わる新陳代謝だけでなく、基礎代謝や食事による代謝、全般をさすものと思われます。

新陳代謝の側面からいえば、タンパク質合成のプロセスを指しています。
食事の代謝の側面からいえば、消化と吸収、排泄ですね。

とはいえ、このころはまだ素材段階であり、実際に細胞物質として単細胞が現れてくるのは、ずっと後のことです。

・単細胞が現れてくる前から、生命はある。

・細胞が存在する前から、新陳代謝がある。

・木に果実、野に獲物が存在する前から、接取と排泄がある。

この因果関係は、左脳的論理的思考だけでは、まったくとらえきれません。
しかし、右脳の直感レベルでは「そのとおりだ」とうなづく自分がいます。

理論物理学者デヴィッド・ボームの言葉を借りれば、物質以前の流動的全体性の秩序をインプリケート・オーダー(暗在系)、外部に現れた秩序をエクスプリケート・オーダー(明在系)と呼ぶようです。

・物質が現れてくる前から、流動的全体性の秩序が、ある。

主客未分の世界観。
ボディートークのホログラフィックモデルも、このあたりの流れをくんでいます。

ボームは「宇宙は二重構造になっており、我々がよく知っている物質的な(明在系)宇宙の背後に、 もう一つの目に見えない(暗在系)宇宙が存在する」という仮説を立てました。

物質の「背後」ではなく、見えない力は「表面」に現れる、としたたのがゲーテです。
わたしはゲーテの認識論に、オッタマゲーな衝撃と影響を受けたので、いつも「表面」から何を読みとれるかを見ています。

「表面」は、見ようによっては誰にでも観察可能です。
「見ようによっては」とは、個人的な経験則や判断を外して、事物そのものが語るのを待つような観察方法です。

レムリア期よりさらに前の、人間存在の萌芽の時代。
音の響きの世界。
主客未分の日本語文法の世界。

もしもわたしが、そのような観察の目でクライアントさんを見ているのだとしたら。
そういうわたしの元へ、クライアントさんが来てくださるのだとしたら。

やはりわたしは、ギリギリまで現代科学・哲学のもつ客観性と論理性、会話共有能力に準拠しつつも、ありのままの観察眼においてのみ現れる「暗在系」に、深く寄り添っていこうと思うのです。

そして、それ以外の仕事のあり方を手放していこうと。

生命、代謝、接取と排泄。

自然のあらゆる営みに働きかける力とその不思議なリズムは、わたしたちの肢体の動きに写し取られます。
植物や動物、山の木々、風、海の匂い、雲の動きは、わたしたちの唇に歌として流れます。

これらは現代のわたしたちの日々の生活や仕事に無関係なものではなく、むしろ、生きる根幹にある喜びのひとつなのではないでしょうか。

自然の諸力と身体がひとつになったとき、あらゆるエネルギーは自在になる。

え、それって夢物語じゃないの?ほんとにそうなの?
っていうのを、ストレートに追求していったらどうなるだろう?

その場だけのワンネス体験ではなく、再現可能なもの、伝授可能なもの、施術可能なもの、稽古可能なのものに。
そして暗在系を肢体の動きと歌に表面化していったら、世界はどうなるんだろう?

胃腸に入れる仕事を、このテーマだけにしぼる。じゅわっとしぼる。
午前の稽古も、午後のボディートークも、夜の時間も。

内なる声が聞こえたら、したがう。預言者エリヤのように、ただしたがう。

それがわたしの仕事のルール。

「ビジネスセッションを持っていないと、稼げない」という信念。

この信念のせいでまとまりきれなかったエネルギーが、ひとつの情熱へと流れこんでくれそうな気配がする。