カラダのお宝と可能性、お盆の集中トレーニングのこと
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つむじからしっぽまで自分の内側を感じ、動きやすいカラダと出会う半年間プログラム。
カラダの構造と機能、そこに命を吹き込むエネルギー。
スイッチを感じてから動く、感じるをもっと内的に深める、体の生命活動まで意識を広げる。
これをまるごと、二人がかりでファシリテートしているのが、たいやきWORKSHOPです。
その相棒、新井亜希さんのお盆集中トレーニングに受講生として参加してます。
(またつるんでる、って思われるから、感想とか書かないほうがいいかな?)
と、こっそり聞いたら笑われた。
なので、ちょこちょこ書いてます。
彼女との共通点は、内側からカラダを感じて動くことに興味がある点。
今ちょうど半分、3日間参加して思ったのは、
「こうやって一日中カラダの連動を追い続けるのを、あきちゃん毎日やってるんだ」っていう驚き。
同じことやってるように見えるけど、「かけ声トレーナー」とは対極にいる。
カラダの連動は、個体を超えて起こる。
それははっきりと見てとれるほど場をクリエイトし、人のたたずまいどころか空気感まで変える。
わたしは、目には見えない「意識」というものを追い続けることに決めて、毎日その現場にいる。
毎日追い続けていると、どれだけわたしたちのカラダが、無意識に縛りつけあっているかを思い知る。
それを、意識的な連動に変換する。
集中トレーニング、とても楽しいし、プライスレスな価値を感じてます。
毎日やっていること、その積み重ねって、確実に積もっていく。
正確には、何をやっているかではなく、「どう取り組んで」いるのか。
だからね。
「何を毎日やりたい?」の問いかけって、すごく大切だと思った。
意識的に問いかけていくと、「どう取り組んで」いるのがわかる。
自分がやっていることを、価値あるものにしているのか、つまらないものにしているのか。
毎日会社に通うのだってあり。
家族と生活の日々も、あり。
比較して優劣を決める、勝負の世界だってあり。
とことん追い込むには、悔しさも努力もだいじ。
かけ声トレーナーだって、ちゃんと存在意義はある。
どれも、あり。
どれも価値があり、どれもつまらないものにもできる。
自分が動く資本であるところの、カラダ、その可能性、お宝。
それを発掘しはじめたら、どれも「あり」になる。
人生がブレなくなる。
「何を毎日やりたい?」っていう問いの答えが、見つからない人もいる。
答えはなくたっていい。
問いかけはじめると、可能性と出会う。
結果の世界に閉じ込められていただけだって気づきはじめる。
憧れてトレーナーやセラピスト目指してもいいし、途中でやっぱり自分は違うってやめてもいいと思う。
可能性が開くことが、すごいんだから。
わたしは死の世界にタッチして戻ってきて、動く喜び、動ける人への憧れからはじめた。
喜び、憧れ、驚きを、オイリュトミーでは「A(アー)」という純粋母音で響かせる。
いまだに、三次元の世界は少ししんどいけれど、喜び、憧れ、驚きの響きの中では、ほんとうに素敵な人たちと出会い、助けてもらえることが多い。
トレーニングの世界は、とてもシンプル。
仙骨がもっと伸びるとか、デコルテ広くなるとか、首長くとか、足ちゃんとふむとか。
日なが1日、そんなことやってる。
(もちろんトレーナーは、すっごく勉強してます)
そんな悠長なことで1日つぶしてらんないって思うなら、それは自分の意識でも宇宙意識でもなく、せわしないマインドの反応かもしれない。
そんなときは、ボディートークで、新しい意識に出会ってみませんか?
それから一週間、カラダに集中トレーニングをプレゼントしてみる。
日なが1日、仙骨がもっと伸びるとか、デコルテ広くなるとか、首長くとか、足ちゃんとふむとか。
結果の世界で右往左往することをやめて。
せわしないマインドの反応から生きることをやめて。
シンプルな世界に一週間くらいひたって。
そうすると、カラダが動きをガイドしてくれるようになっていきます。
何かに、安心して任せられるようになります。
人生を、導きに委ねられるようになっていきます。
わたしは、四年前のシューレ入学式に満開だった桜が、ずっと脳裏に焼きついている。
この夏の、トレーニング初日の空の青さも。
一日中、自分に向き合う、その扉を開く日々の空だ。
8月15日。
死者たちの日。
蝉の声が、一番大きい日。
わたしたちも死の世界へ行ったら、響かせるのだ。
喜び、悲しみ、憧れ、驚き、嘆き、悼み、恐れ、怒り、至福、愉悦。
生の世界で感じた、あらゆる響きを。
だからもっと、今を生きよう。
今日は4日め。
「想像の100倍くらい自分のカラダは動くよ」とトレーナーが言うところへ、出かけよう。
そこは表参道の、ミラクルなマシンのあるスタジオでもあり、自分の内側でもあり。
毎日やっていることで、もう一つ大切なのは、「何を選択し、何を選択しないか」をクリアにすること。
カラダはなんでもありだから、どんどん手広くなってしまう。
お客さんの要望を聞きすぎて、メニュー増やしすぎた喫茶店みたいになる。
わたしにとって今、自分のカラダと向き合うということは、「何を選択し、何を選択しないか」がクリアに見えてくることだなと感じている。
「それ」を探すのではなく(探すと見つからないよ!)、例えば、股関節の可動を通して、その連動をていねいに作っていくことで、クリアになっていくものがあるんだと思う。
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