久しぶりに、近況と内的な自己対話
- 2019.09.06
- 日々のこと
9/5は夜だけのセッションだったので、朝は9/9の勉強会のクラスデザインを作ってブログUP。
ボディートーカー仲間に教えてもらった近所の温泉、高井戸の美しの湯に行ってきた。
三鷹台から二駅だから、セッションの後にお時間の余裕のある方、おすすめ!
露天に縄文式低音サウナっていうのがあって、テレビがないのがいい。
サウナ&テレビは、瞑想タイムを持ちたいわたしは相当つらくて、でもスーパー銭湯みたいなところは、今はほぼテレビありなんだよね。
帰り道に富士見ケ丘のカフェでビールを飲みながら、文章を一本と9/10のクラスデザインを一本。体化学のための免疫についても、最近の情報もチェックする。
感覚のワークに寄せられるフィードバックが素敵だ。
自分の体の状態が、しみじみわかった、という人。
今は試練だけど、その体験時間をたずさえて自分の真ん中へ戻っていくんだ、という気づきのあった人。
自分の生まれついた体質、気質を深いところで受け止める人。
アンケートはとってなくても、LINEで好きなときに投げかけてくれる。
わたしも好きなときに気まぐれに返す。
いま身体に疾患が出ている人に、セッションの時間を感覚ワークにしてみたら、エネルギーも受け止め方も変わった。
五感の制限が取れていくって、こんなにすごいんだなということを、クライアントさんを通してあらためて気づかせてもらっている。
今日はプロフェッショナルなセラピスト、カウンセラーに向けた特別な感覚ワーク。
感覚を内側に向けることは、直感を伸ばすことでもある。
思考を適切に内側に向ける方法もあって、これは感情のベクトルとつながっている。
感覚と直感、思考と感情。これらはすべてカラダにマッピングされ、内的なところで動きに深く結びつき、空間へと発露する。
音楽と言葉が、感覚と直感、思考と感情のセンターを通過して動き・空間へと流れる。
これがやりたいのだ。これは地と天、風と水の呼吸なのだ。
セッションもワークも、また自分自身の人生においても、精神性が魂を通り、体的な動き・行動として顕現する。
身体感覚を人智学にひも付け、内面世界にできるだけ客観的な姿勢で臨む。
この二つが、わたしの今のアファメーション。
精神世界は、迷いの世界でもある。
物質世界でのメリット・デメリットの説得力のほうが幅をきかせている限り、大衆はそこへなびき、わたしもグラグラと迷う。
最近、ガシガシといろんなことがはじまったのは、迷うことをやめ、この二つをわたしの価値観とし、腰を据えたからだろう。
弱さや課題も見えてくる。強みやチャンスも等価で見えてくる。
いつもは自分の巣でやっているが、外でやってほしいという依頼を受けた。
自己実現から他者・世界のためにという流れがあれば、水は自然と流れていく。
委ねていけばよい。
セッションの時間まで、合宿のランディングページを作ろう。
ただのランディングページだけれど、たいやきプログラムの精錬作業でもある。
やりっぱなしで通り過ぎようとする気質のあるわたし。
立ち止まって、価値を受け止めにいく。
感覚のワークは、実は多次元の冒険なのだ。
病気だっていう人は、この本をカラダで感じるといい。病気であることをやめていける感じを内側からつかめると思う。
わたしは子供のころ、「自分は地球の言葉、三次元感覚を学びに来て、それは図書館というところにあるのだ」という心象風景が強くあった。
いつしかそれが、三次元に合わせなければ、もっと知らなければ合わせられない、という焦りや無価値感につながっていった。カラダを閉じ、感覚を閉じて、いろんなことを我慢してやりすごすしかなかった。
そんな過去も、別に捨てなくていい。遠回りではあったけれど、わたしは次元感覚を学び終えた。
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