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自分を苦しめる信念システム:平凡なのは嫌だ / 真ん中は危険

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クライアントからお寄せいただいた感想として、「終わったことにしていた怒りの解放」を掲載しました。

もう終わったつもり、もう納得したつもりでいた感情に、まだ深い根が残っている場合があります。
これってどういうことでしょう?
ここでは、わたし自身のことを例にお話します。

わたしは「平凡なのは嫌だ」という気持ちを強く抱いてきました。
「普通であれ、普通であれ」と言い続けた親の薫陶に対する反発もあり、よくも悪くも真ん中辺りのレベルでぬるま湯にいるのが嫌なのです。

その心的態度のおかげで、わたしは自己批判と自己否定感がとても強く、All or Nothing、程よい加減に調整することが難しい人間になりました。

自分自身で、自分のそういう面は理解した・・・つもり。
でも、「平凡なのは嫌だ」という信念の根っこに、もうひとつの信念が隠れていたのを発見したのです。

きっかけは、「ボディートークのためのストラクチュラル・インテグレーション概念」のセミナー中、あるデモセッションの最中でした。
リン先生の施術で、部屋の色が変わるかと思ったほどのエネルギーが、デモにあたった受講生のお腹から解放され、そのエネルギーが、わたしの家族感情を強く刺激しました。

わたしは兄と妹に挟まれた真ん中で、子ども心には、そのことが非常に感情的ストレスになっていました。
頭の良い兄と可愛い妹、そしてあらゆることに不出来で、家の手伝いだけを期待されている長女のわたし。そんな構図です。

30年以上もため込んで、やっと解決した感情的ストレス。
それが2015年2月1日のデモセッションで、また変化を遂げたわけです。

セミナー会場に立ちこめた強いエネルギーシフトの中で、「平凡なのは嫌だ」という、わたしにとってはお馴染みのフレーズが突然浮かび、そこから胸がえぐられるような感覚で「真ん中は危険」というフレーズが吐き出されました。

「真ん中は危険」

その信念は、わたしに家族からの疎外感を与え、平凡を嫌わせ、さらには、わたしがわたし自身の真ん中にいることも拒んできました。

体の真ん中は、心臓です。または太陽神経叢、丹田です。
精神的にも肉体的にも、わたしは自分自身を疎外し続けてきました。
それが現実にどう影響してきたか。
子宮、心臓、のど。体の真ん中が次々に病気になりました。

「平凡なのは嫌だ」
この子どもじみたちっぽけな信念が、実はすごく大きな不安感を覆い隠していたことに驚きます。
自分自身が自分の真ん中にいようとするたびに、強烈な危険信号が発せられるのですから、たまったものではありません。

ボディートークでは、こうした深いところにある信念に焦点を当てていきます。
意識がそこを照らすことで、その信念はエネルギー的に中和されます。

潜在意識にアプローチすることで、とてもスピーディに意識を向けていきますので、安全でシンプルなのがボディートークの特徴です。