2019年5月25日、国立劇場での特別企画公演、<言葉~ひびく~身体> 神々の残照


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2019年5月25日、国立劇場での特別企画公演、<言葉~ひびく~身体> 神々の残照 -伝統と創造のあわいに舞う-が終演しました。

・日本舞踊「長唄 翁千歳三番叟」
・インド古典舞踊
・トルコ舞踊「メヴラーナ旋回舞踊〈セマー〉」

と、各国の舞が披露され、最後に、

・コンテンポラリーダンス「マーラー作曲〈交響曲第五番〉と群読による古事記祝典舞踊『いのちの海の声が聴こえる』」

同作品の、『古事記』の朗唱団に参加させていただきました。

マーラーの、トランペットとホルンが深いリズムを刻む第一楽章ではイザナギノミコト、イザナミノミコトの「国生み」が。
激しい旋律が展開する第二楽章では、「冥福下り」。
弦とハープがゆったりと奏でられる有名な第四楽章では、「天の岩戸開き」。

ダンス、オイリュトミーの群舞、古事記の群読が、多層的な世界を織り成す舞台でした。



言葉は秘めるほどに、伝えるインパクトは大きい。
体の奥から絞り出すようなヴィスパー発声で、独特な長・短のリズムで古事記をおろします。

「声」は、越えていくもの。

公演後、群読からひとつの新しい声が生まれた、と先生に言っていただけた朗唱団は、古典を暗唱し、ダンスと合わせるという試みに、実のところずっと迷走と試行錯誤を繰り返していました。

声にも、何も隠せないほどに、その人となりが出ます。
当初は、ほんとにバラバラでした。

それでも淡々と練習に向き合い、各々の個を明け渡し、越えていくような作業を重ねていけたのは、クリエーションの現場のおもしろさ、そこに集う人々のたたずまいの見事さに惹きつけられていたからにほかなりません。



体から出され、越えていったコトバの先に、生身の動きがある。

それは、これまでのコミュニケーションでは一度も感じたことのない驚きでした。

わたしたちはふだん、どれほど一人よがりに言葉を使っているのだろう。

伝えた先にある動き。
わたしではなく、相手の中で生まれる発見。

全ては自分のモノではなく、何かのコトが起こっている。
コトの中に身を置くときに感じる手放し。
その髄に一瞬でも触れることのできた経験でした。

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