究極の引き算で、空になるカラダ - Holistic-web

ワタシをとりもどす、カラダをとりもどす

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空間のなかで、優雅に動けて緊張していない状態。
自分の体がそうであったら、うっとりするようなリラックス感、美しさ、伸びやかさを連想しませんか?

それは動物的な動きのしなやかさですが、直立するわたしたちには、動物とは決定的に異なる動きがあります。

大地に足を広げ踏みしめたときには五芒星の、
天に手を広げ伸び上がったときには十字の形姿になります。

つまり、四つんばいとは重心がまったく異なるのです。

ストラクチュラル・インテグレーション(Structural Integration)は、直立する人間の構造を根本からとらえなおし、空間や重力のなかで自然に動ける身体をとりもどす統合法です。

アイダ・ロルフ博士によって体系づけられ、ロルフィング(Rolfing)というボディーワークとして、学んだり、施術を受けたりすることができます。

ボディートーク(BodyTalk)にもストラクチュラル・インテグレーションは取り入れられており、その素晴らしい知見を使って筋膜に働きかけることができます。わたしも大好きなワークです。

ロルフィングそのものは受けたことがなく、受けたいなあと思っていたら、夏にご縁とチャンスがあり、数ヶ月にわたって施術を受けることができました。
お世話になったのは、ロルファーでもありダンサーでもある楠美奈生さんです。

このときのロルフィング体験を振り返って書いてみます。

ロルフィングは、体のほとんどすべての部位に働きかけるので、基本的なセッションとして、全10回の系統だった施術がセットになった10シリーズが用意されています。
わたしは背部を2回に分け、ぜんぶで11回受けました。

まずは呼吸からはじめ、身体の表層(スリーブ)にふれていきます。

四肢の大きな関節、大地にふれる足の南極。
背面へ、側面へ。
縮こまった身体が解放されます。

慣れてきたころ、身体の深層(コア)に入っていきます。
四肢の内側、お腹から腰。
仙骨、背骨、首から頭部への北極。

そこからさらに3回かけて、下肢帯、上肢帯、全身の統合へと向かいます。

ボディートークも「治す」という考え方を使いませんが、ロルフィングにも「治す」という考え方がないようです。
身体本来がもっているあらゆる可能性を引き出すきっかけとして、手法や情報のコンタクトがあります。
その場の状態を治すことにとどまらない、永続的なアプローチです。

バランスを失い流れが滞っている箇所に光が入ると、身体そのものが自分で気づいていきます。
ロルフィングは、施術者が構造を整えながらクライアントに動きをうながすことで、身体の気づきをともに探求していく、静かでありながらダイナミックなワークです。

●この世界にもう一度カラダを置き直し、動きたい

肉塊のような、カゲロウのようなそれを、ワタシ(脳)は処理する。
肉塊のような、カゲロウのようなそれを、ワタシ(脳)は処理する。

上の絵は、わたしの10歳の身体(ボディーイメージ)です。
自我を自覚すると同時に、マインドから肉体を切り離しました。
変な10歳ですね。

憎い、退屈、わかってもらえない、愛されない、苦しい、こわい、悲しい……ひとり
憎い、退屈、わかってもらえない、愛されない、苦しい、こわい、悲しい……ひとり

隠さなければ、こんな自分を。
ここにいてはいけない。

ここではない、どこかへ。
どこにもない、どこかへ。

子どものわたしは、どこにも居場所がないと感じていました。
脳の本質が物理空間ではなく情報空間でしかないことを直感的に知っていましたので、脳がわたしの居場所だったのです。
脳は、冷たい、色のない、質感のない、どこにもない、どこか、でした。

ロルフィングを受けはじめ、身体の気づきを濃密に共同作業でやっていくことに直面したわたしの深層心理は、恐れおののき、ガチガチに緊張していました。

肉体は、人生の歴史です。
好きでも嫌いでも歴史を受け入れ、溶かし、変容を感じるプロセスは、当人であるクライアントの側の仕事です。

何かが溶け、深い解放を感じ、日々の動きの中で表層意識でも変化に気づいていく。
身体の底からわきあがるような感動は、うまく言葉にできないのです。

わたしは概念化・言語化が苦手ではありませんが、ウィトゲンシュタインの言うとおり、語りえぬものについては、沈黙がふさわしい。

毎回セッションの前に、「身体はどんな感じですか?」と聞かれ、もごもごしていたわたしは、5回目のセッションのころ、イラストを書いてもっていって説明しました。

身体の中に色彩が訪れたことを、伝えるために。

奈生さんは、絵をみて、「続きがありますよね」と言いました。
わたしも終わったら、「続きをかこう」と思いました。

●わたしは、1mmも腕を動かしたくないのだ

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統合の段階に入り、妙な葛藤に気づきました。

わたしは日々4時間、オイリュトミーという運動芸術の稽古に通っています。
オイリュトミーは全身から腕を動かしていくので、ほぼずっと腕を大きく動かし続けています。

自分でその道を選び、喜んで稽古しています。
でも、あるとき、身体のなかから「腕を動かしたくない」という明確な声が聞こえてきました。

ロルフィング・セッションで上肢を整えてもらっているときにも、ムーブメントをうながされて、「やりたくない」という微かな気持ちが浮かんだことがあります。

動かしたくない、やりたくない。
否定の声と気持ちが符合しました。

大きく動かそう、肩関節をやわらかくしたい、というわたしの強い意図とはうらはらに、腕の組織にまとわりついた感情分子は、恥ずかしがり、休みたがり、鬱々として、1mmも動かずに隠れていたがっていました。

わたしは意志の力と稽古という環境によって強制的に、腕にムチを打って動かしていたのです。

ひとり体育館で自主練しながら、わたしには、動きたくない腕と動かしたがる腕、両方を見ていました。
「わたしの腕は、ウツ症状だったんだ・・・」と。

浮きただよふ直立脊椎動物
浮きただよふ直立脊椎動物

身体の葛藤に気づいたのは、大きな分岐点でした。

次の瞬間、わたしは背骨がふわりと勝手に行きたがる方向に気がつきました。

骨が嬉しそうに漂っていく。
まるで、海にぽっかり身をまかせるような安堵の訪れでした。

わたしはゆっくりと、沸き起こってくる微かな力の流れだけを感じながら、くるり、くるりと、小さな波紋を描いていました。

身体の外にはまだほとんどでない、小さな波紋です。

●土の上に、自分の足で立つ

わたしたちの多くは、この小さな波紋にまったく気がつかないまま、身体を酷使しているのかもしれません。
そんなささいなことにかまっていられないほど、気忙しい日々です。
酷使しては、強いマッサージを求めたり、痛みを消してもらいたがったりします。

わたしは自分でも施術をし、また微細な身体感覚を磨く訓練をしているから、こうやって文章にまとめてみたりしていますが、そうでもなければ、小さな波紋など気にも留める必要なんてないのでしょうか。

そうではない、とわたしは感じています。
もっともっといろんな人に、内なる微かな声や、動きの衝動となる小さな波紋を感じてほしい。

全身の統合セッションが終わったとき、そっと床に下りたわたしは、笑顔で自然に立っていました。

帰り道の公園を歩いていたら、ゆっくりゆっくりと、魂のふるえのような喜びがわいてきました。
身体の深部が、勝手にゆらゆらと揺らぐのです。

静かな夜空、土を踏み緑に囲まれ、それはとても心地の良い、そよ風のような揺らぎでした。

身体をとりもどして大地に自分の足で立ったのだ。
はっきりと、そう自覚しました。

わたしは、3年前にボディートークを受けて意識や環境が大きく変わりました。
健康も大きく回復しました。
意識は一瞬で変わり、感情もとらえ方でガラリと変わります。
物質化している肉体は、もう少し時間がかかります。

身体の気づきは、今年から本格的にはじめたオイリュトミーでの動きと、今回のロルフィングのおかげがとても大きいです。
身体を三次元空間に置き直すことは、いわば身体からの覚醒体験といえます。

肉体をもって、この世界でどう生きるか。

その可能性を、あらためて力強く感じます。
また、この世を生きるひとびとが、幸せや情熱や楽しさを感じながら生きられるよう力になりたいと願う気持ちも、とても強くなりました。

時間がない人、心がざわつく人。
どうぞ、ゆっくり、ゆっくりと、動いてみてください。
足の裏を、背中の気配を、頬に受ける風を、その香りを、目に入る色を、身体の声を、感じてみてください。

感じている間、「今、ここ」に生きています。
今、ここに生きている瞬間、あらゆる並行宇宙が、無限の可能性としてあなたの気づきを待っています。

ロルフィングを受けている間の、静寂の時間が大好きでした。
奈生さんは沈黙を大切にしてくれる施術者で、驚くことに、心の中からもほとんど何のノイズも飛んできませんでした。

わたしはただ静かな時間のなかで、身体の動きを感じ、心のざわめきや深く眠る感情を見つめていればよかったのです。
それはクライアントとしてとても幸せなことで、自分が施術者である立場としても、大きな学びでした。

10シリーズの途中で、奈生さんのダンス公演があり、舞台で身体がみるみる変わっていくのを目の当たりにしたのも、非常におもしろい体験でした。

動くことは素晴らしい。
動けないことも、素晴らしい。

身体はいつでも、だれとでも、響き合っています。
豊かな響きに気づきはじめたとき、わたしたちは恐怖から解放されていきます。