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カラダを通して至る道、真理、命 ─ ヨハネ14章6節

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骨盤

学んだことの実体験を受けとる。
またはセッションとして実践してきたことを統合していく。

体験を受け取るのは自我の働き、統合は高次自我の働きです。
自我と高次自我の働きのプロセスに入ると、言葉が書きたくなります。

ボディートークの根幹をなす「意識の原理」は、物理と哲学、両方の側面から説明され、肉体そのものの意識と治癒の方向へ落とし込まれていきます。

物質形態と自我の両方をあわせ持っているのは、全宇宙のあらゆる可能性のなかで人間存在しかありません。
この意味に思いをはせるとき、のどの奥が震えるような感じを覚えます。

わたしにとってキリストや十字架とは、「物質形態と自我の両方をあわせ持っている唯一の存在」の受難と進化を表現しています。
それ以上でもそれ以下でもなく、ただその途方もない大きさにおいて、のどが震えるのです。

キリスト的に肉体から霊に向かうことは、アドヴァイタ哲学の現代的な解釈、仏教的中道とともに、伝統的な信仰や、何かしらの「正しい教え」から一歩身を引いて、セッションのうえで中立的観察を保つ大きな助けになってくれています。

物質形態とは何か。
肉体はどうやって肉体になっているのか。
肉体のなかにどんな力が眠っていて、動きを生じさせるのか。
動きは、周囲とどのような相互作用をしているのか。

人智学のルドルフ・シュタイナー、それからオイリュトミーの師である笠井叡は、こうした問いかけに明確な思考と洞察を与え、天使論、芸術論にまとめています。

内的な均衡体験によって動きが生まれ、命となり、命が形となる。
形を与えられた動きは、はじめて外から自己を発見する。
発見はイメージされ、存在たちの響きを聴き、詩を歌いはじめる。

形(建築の力)がなければ、わたしたちは言葉を持つことができず(存在を認識できず)、イメージ(絵画の力)がなければ免疫抗体をつくることがきず、音楽がなければ神経系も内分泌系も働くことができない。

人体形姿と生理学、癒し、動き、芸術が深いところで結びついた力の源泉にもっと近づきたい。
それがわたしの日々のモチベーションになっています。

味噌汁

有機生命体である人間の物質形態=肉体の基本単位は、「細胞」です。
細胞を単位として、肉体構造と生命活動や社会活動に必要な成分(おもに水とタンパク質、脂質)が出入りしたり合成されたりしています。

細胞へのアプローチは、おもに分子生物学から研究されていますが、もうひとつ、形態学というアプローチがあります。
形態学はゲーテの造語なんですね。

ゲーテは徹底した自然観察から、宇宙の螺旋軌道(動きの原理)と植物の原像(形の原理)を洞察しました。

分子生物学は、物質がどのような現象を見せているかに注目します。
形態学は、物質を物質たらしめているのは何か、に注目します。

物質を物質たらしめているのは何か」という問いは、従来の自然科学の問いかけからは除外されていました。
しかし量子物理学の世界では、この哲学的な問いかけから逃れることはできません。
観察者=人間の意識が、現象に影響を与えているからです。

意識と現象の関係は、光子の二重スリット実践、その応用として意識の観測問題として有名です。
この意識と現象の関係をもうちょっと肉体に引き寄せて語ることができるのが、ホログラフィック・モデルです。

ホログラムの基本原理は、「ひとつにすべてが含まれている」です。

ひとつの肉体があって、その周囲に世界があるとします。
世界には形があり、見たり聞いたり食べたり歩いたりできます。
これを形象宇宙と呼びます。大きな大きな宇宙です。

一方、小さなひとつの心の中には、世界の体験を受け取る心象宇宙があります。
心象宇宙が形象宇宙を受け取るとき、そこには自我と神経系、血液系が働いています。

自我は脳脊髄と感覚器官によって、形象宇宙を内面化し、像を結びます。
人智学的にいうと、アストラル体の表現を受け取る、ということ。

血液は、このアストラル体から人体形姿の形成力を獲得します。
形を成す力は、人体において鉄分や赤い色に象徴されています。

一方で血液は、外界の酸素の力を借り、自らを生かしています。
自らを生かす力は、自律神経系を通じたエーテル体の働きです。
内的な生命活動は随意運動ではないので、感覚器官の明るい知覚に対して、自律神経系は暗い知覚になっています。

脳中枢でいうと、内なる心象宇宙において外なる形象宇宙を明るく映すものが松果体(陽)、暗く映すものが脳下垂体(陰)です。

自然界の収縮と拡散の波長(五行による動きの本質)と、陰陽のバランス(交感神経系と脳脊髄系の結びつきが、肉体原則を固体化(物質化)していきます。

単に「思考が現実化する」とか「意識が量子を局在化させる」という法則だけでは、おおざっぱすぎてセッションが成立しません。
ボディートークが、最初に五行、五感、意識の順に探索していくのはそれなりに意味のあることであり、脳が優先的にコミュニケーションを回復させる具体的な肉体構造や心との相互作用へと、施術者を導いてくれます。

はあ。
・・・言葉だけで説明しようとすると、こんなにややこしい!!

今日は試験に向けて、概念整理の作業をしているのですが、ややこしさの中にいると、ほんとに頭が痛くなってきます。

でも大丈夫。
わたしにはもうひとつのお楽しみ、オイリュトミーがあります。
肉体原則をもっと感覚的な動きや感情との結びつき、芸術として体験できるものにしたのが、オイリュトミーです。

ご興味のある方は、ぜひ、わたしに会ったときに「オイリュトミーって何?」と聞いてくださいね。

カラダを通して至る道、真理、命。
内なる道はどこへ至るのか。

意識はリアリティと非リアリティの二重性を持つ。
頭部も心臓も二重構造。
消化・代謝の本質は抵抗と受容。

だから、矛盾のままでいいのだ。
不安に安んじていいのだ。
引っ張り合いのなかに力はあるのだから。
ただあたりまえに、目の前を生きればいいのだ。

最初からある道など、ない。

わたしのなかには、不思議といつもヨハネの生きた感覚があって、言葉の世界へ、洞窟の中へ、のどの震えとともに身を焦がすような衝動をわたしに与えるのです。