排泄知覚のナゾと、生態系(エコシステム)の考え方


「女優はうんちをするのか」というテーマを、今でもまじめに考えます。

わたしは子どものころ、人間のもっている排泄機能やトイレ文化が、不思議でなりませんでした。
人間は、とても高い精神性を脳の機能として持っています。
だから、動物存在としてうんちやおしっこをするとき、その行為をしている自分を知覚します。

高次精神と排泄が同居していること。
綺麗な女優もうんちをすること。

そのことに、毎回びっくりするのです。


びっくりしすぎて、小学校にあがるまで、ずっとうんちもらしてました。
おねしょにいたっては、中学校近くまで。


前に夜尿症の男の子がクライアントさんでいらっしゃいましたが、「もしかして排泄文化にびっくりする仲間か!?」とドキドキしたものです。


海や緑の自然は大好きなのですが、人間身体のオーガニックさが苦手でした。
細胞があって、くねくねと血が流れ、粘膜で覆われ、アカや汗を出し、ほおっておけばホコリの出る家に暮らさなければいけない、有機存在としての人間。

むせかえるような生命のエントロピー。
呼吸や食事が繰り返されること。
時間のなかで暮らしていること。


どうやって解決したかというと、『猿の惑星』という映画をみて、「これだ!」と思ったんです。
最初のシリーズは、1968年。もうだいぶ前なんだね。

この映画がサバイバルの指針になってくれた。


「この世界は、猿の惑星」。

これがわたしの強烈な信念システムでした。


親も、学校も、人間のふりをしているけど、ほんとはみんな猿で、自分たちが高等動物だと信じ、子どもを下等動物として扱っているのだ、と。


トイレに入るたびに、いつも自分に言い聞かせていました。

ここは、猿の惑星。
一歩ドアと出ると、猿が銃をもってウロウロしている。

殺されないように。
猿の惑星文化になじんでいるふりをしようと。

猿の惑星のトイレ文化。


まあ、簡単にいえば思い込みで生きてる変な子どもなんですけどね。

こうしてわたしは、排泄知覚のナゾと長年つきあってきたわけです。



そのナゾに、唯一まともにとりあってくれたのがシュタイナーでした。

マクロコスモス・ミクロコスモスの照応と、生理学について、彼は途方もなくおもしろい言及をしています。

シュタイナーの生理学から出発したことで、人間がどのように意識を内的に獲得してきたかを、わたしはようやく深々と落とし込むことができたのです。


意識を内的に受け取るには、感覚を知覚にまで増幅する脊椎と、直立する四肢バランスと筋系が必要です。
脊椎動物であること、そして思考/言語をもつ直立存在であること。


わたしたちはエジプト文化で死を発見し、ギリシャ文化で四肢と筋肉を発見し、ルネサンスで自我を発見し、今は脳を発見し、脳科学の真っただ中にいます。


近い将来、内臓を発見するでしょう。

なぜわたしたちが内臓を持ち、物を食べ消化吸収し、排泄し、浄化機能をも有した生態系であるのか。

どうしたら分離存在(個我)でありつつ、開放系の自然界で生きることが可能なのか。


分離存在(個我)は、自然を徹底的に破壊し、戦争する方向へと向かいます。
それが今の地球のあり方です。
「自分はそんなことしない、戦争反対」というだけなら簡単で、人に汚い仕事を押しつけているだけではないのかと自問自答してみると、答えはそう簡単には出ない。


分離存在は自然を破壊する。
自然の一部であるにも関わらず、個我の分離をもっているという矛盾。

この矛盾は小学校の図書館では、まったく解決できなかった。


松果体、脳─神経系、四肢運動系のライン。
脳下垂体、内分泌─消化・泌尿器系のライン。


松果体、脳─神経系、四肢運動系のラインは、具体的には、神経疾患や運動機能のトレーニングで出会うことができる。

脳下垂体、内分泌─消化・泌尿器系のラインは、免疫、体科学、変容と代謝について、より深い内臓感覚を得ることで、出会っていく。


ジャイロキネシス、ピラティスで具体的な身体機能のリリース・エクササイズに取り組みつつ、生理学と精神の変容においてその方向づけをし、新しい自分と出会っていく。

そういう連続ワークショップの種を、今、育てています。
どうなるかなー。


シュタイナーは、アカシックレコードから宇宙の本質をダウンロードしていた人だけれど、それを一般に分かる言葉、時代とともにある科学の言葉、哲学の言葉に置き換える努力をけっして怠らない人だった。
だからわたしもそうしている。

言葉にならないものが伝わるよう、見えないものが伝わるよう、骨組のための言葉を尽くす。


レムリア、アトランティス期のスピリチュアリティについて、へんな誤解?が広がっているのか、エネルギー侵入を受けている人と、たまに出会います。

彼らの時代は、思うことがすなわち現実でした。
でも、その意識状態と骨格状態は、今とまったく違います。
レムリア人の身体と意識状態は、現代の世に、1秒も生きていることができないでしょう。


思うことがすなわち現実。
これを誤解してフワフワしていると、体に変調がきます。
影響を受けるのはおもに惑星とむすびついた内臓たち。


人体が本来持っている、エコシステムとしての素晴らしい機能と運動系、意識。
それらが共鳴しあって、ぜんぶハッピーになっていく。

その確かな方向に関わっていきたい。
自分が伝える側であるなら、伝えていきたい。


今日は土曜日、セッション三昧とバレエの日です。
きっと、ぜんぶハッピーになっていくことに、いろんなヒントがもらえるでしょう。


支度するべ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です