カウンセリングとボディートーク


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心理カウンセリングのことを書こうと思ったら、さて、えらそうなことを書けるほど知識がないのでした。
いろんな臨床の方法があるから、一概にこれ、とも言えないし。

ボディートークに、カウンセリングによる療法との違いがあるとすれば、「しゃべらなくてもいい」という点があります。

寝てても、昏睡状態でも、赤ちゃんでも、動物でも、植物でも、もっといえば、亡くなった方の感情が登場することもあります。
ホログラムだから、肝臓や細胞をひとつの人格として焦点をあてることもあります。

すべてはエネルギーの凝縮だから、感覚器官を通して「外部にある」と知覚しているあらゆるものは、意識の反映としてボディートークの対象になり、知覚して受け取ったものは、自我、思考、感情の領域に焦点をあてます。

 意識が形を変えて偏在している、としか言いようがない。

施術者はそのありようを「観察=何が起こっているのかに注意を払う」のが唯一のお仕事といってもよく、観察によって、問題化され凝り固まってしまった状態がほどけていきます。


クライアントさんのなかには、心療内科に通院されている方も、お薬を服用している方も、精神疾患や障害の診断を受けている方もいらっしゃいます。

とくに何か特別、ということもなく、ふつうに施術に向かいます。

ただ、長期に渡ってうつ病を抱えてこられた方が、ボディートークを受けたあとにたどる感情解放の波と人生の変遷を見ると、その波乱を体験することを選んだ魂に胸を打たれることがあります。


メンタルクリニックを経験された方はご自身のことを語り慣れていらっしゃるなあ、とよく感じます。

語り慣れることには両側面があるのではないかなと思っています。
自分自身をうまく伝えられるという側面と、
語ることで問題が固まってしまうという側面と。

回復プロセス・成長プロセスをたどるとき、伝えられる言葉があると、うんと楽です。
でも、トラブルを説明できることと受容できていることはまったく違うのも確かです。



ボディートークをはじめて受けられるときに、ふたつのことを心にとめておかれると、わかりやすいかなと思います。

ひとつ。

●クライアントの「主役」は原因追求ではなく、回復または成長をたどる、その旅路を歩くことにあります。

「自分のこれまでの人生がどうであったか」の説明、トラウマの追体験、言い訳やうらみつらみ。
そういうのを「しゃべってもいい」し、「しゃべらなくてもいい」

問題の水面下、つまり氷山をほじくりかえすのは施術中の観察だけで、終わってドアを開けた瞬間から、「日常」という旅路があり、ひとりひとりが「主役」です。

ボディートークの効果の個人差は、何を目的として施術を受けているかにもよりますが、「原因追求」や「言い訳」を手放して日常に飛び込んでいく準備ができた方は、軽々とした印象を受けます。


ボディートークの施術中に寝ていてもいいのは、施術者が治すからクライアントは何もしなくていい、という意味ではありません。

まったく逆で、クライアント自身を治せるのは、クライアントご本人だけです。

その準備や調整のサポートには言葉は要りません。

わたしが言葉を使っているのは、何を観察したか、どうバランスをとったか、あとは古い観念に自我が引きずられて不安にならないよう、フィジカルや感覚のワークが必要なときに、それを説明しているだけです。
「どうバランスをとったか」はどうでもいいことで、ご自身の道を歩くことに集中していただけばいいなあと願っています。

「病院でこう言われた」
「施術者にこう言われた」
「整体師にこう言われた」
「霊能者にこう言われた」

を、単なる情報以上にありがたがって、ご自身を決めつけてしまうのは、なんとももったいないのです。

* * *

ボディートークをはじめて受けられるときに心にとめておかれるといいかも、の、ふたつめ。

これは、ボディートークが、というより、わたしのところに来られる際には、です。
わたしはボディートークを代替療法だと思っていないので、そのことについて。

●ボディートークを受けているからといって、現代医療や診察を受けることを放棄しないでください。

わたしたちは、数値化されること、パーツとして切り刻まれ診断されることに疲弊しています。
だから、そうではない分野を扱う代替療法を心身に優しく感じます。

科学か代替か、という二律に分けてしまうと、それもまた葛藤になります。


わたしのボディートークでのキーワードは、「統合(インテグラル)」です。

顕在意識と潜在意識との、
冷え切った心と熱い魂との、
言葉とカラダとの、
あなたとわたしとの分離感覚からの、
左脳と右脳との、
個性と全体性との、

統合。


統合は、「いつも一緒だよね、ひとつだよね」というワンネスの押しつけとは無縁の、段階があります。

段階の概念を、ボディートークでは占星術の「ハウス」を援用して取り入れています。
よく施術で「ハウス」が出てくるので、わたしがその話をはじめたら、「ああ統合の段階のことね」と思っていただけると嬉しいです。


例えば10代なら、統合より分離のほうが段階としては重要です。自立と個性を養う時期なので。
それが10代でなされなかったのなら、大人になってから分離感覚を養う段階を通るかもしれません。

もしも言葉とカラダが引き裂かれているなら、願いの実現が遅いかもしれません。
願いは言葉であり、実現はカラダに象徴されているから。
そのとき、言葉だけ扱っていても、カラダだけ扱っていても、傷の統合はなされないでしょう。

人との境界がうまくつくれず、傷ついてばかりいるなら、健全な境界線を作るための施術がほどこされます。
それも統合の一段階です。


顕在意識だけでは統合できないので、わたしは潜在意識も扱っている、ただそれだけのことです。

トランスパーソナル心理学は、このあたりのフレームをとてもうまく提してくれます。
でも、言語化された潜在意識は、潜在意識そのものではない、ということは心にとめておく必要があります。


時計は、便利に時刻を指ししめしてくれるけれど、時間の実相そのものではありません。

現代医療は、いわば時刻のようなものです。

今、赤血球はいくつ?血糖値はいくつ?
それはあなたの実相そのものではないけれど、便利な約束事として使えます。
急性の対処、腫瘍の摘出なども、現代医療はとても優れています。


よく、「お医者さんにかかるか、ボディートークにかかるか」で相談を受けますが、そのふたつは対立していません。

分離しきれていないことを、きちんと境界をつくり、個の輝きをつくる。
分離しきって引き裂かれている状態に、癒しとバランス、コミュニケーションを与える。

その二つが統合療法としてのボディートークの役割です。
範囲は、解剖学、生理学、心理学、死生観、家庭、仕事、宇宙、スピリット、と、だだっぴろいですが、分度器が広がれば大きく見えるだけで、分度器の中心はゼロポイントです。

だだっぴろく広がった結果を変えようともがいても、それは変わりません。
ゼロポイントの「凪ぎ地点」に立ちたくなったら、ボディートークを受けに来てください。

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